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2006年09月19日

医者とナースと、男と女と

先日、友人と話をしました。
男と女の勘ってなにか違う、とずっとぼくは考え込んでいたのですが、友人に意
見をもらいました。

「女の勘は、視覚的なのでは?」

…なるほど、と思った次第で。
つまり、目で見えるものがふつうとちょっとずれていると敏感に気づく、と。


男の勘って論理とのずれを感じる力、だと思います。
過去から未来までの論理と道筋を、言葉として明確化できていないとしてもくみ
上げていて、それとのずれを感じるのが男の勘、だと思うのですよね。
だから、うだうだと昔のことを気にしたり、かなえられるのかよくわからない夢
にこだわったり、ということがある気がする。

対して女の勘って、上に書いた意見をちょっと進めて、普通・日常とのずれを感
じる力、と自分は感じています。
だから普通、というものへのアンテナの高さは男よりずっと高いし、あつまるこ
とや話すことは好きだし、ショッピングとかのように視覚的な大量の情報を処理
することができるなと感じます。

そう、未整理な大量の情報を処理する女性の能力って、すごいな、と思うのです
よね…。男はざっくり処理していくと思います。
まあ、あくまで平均値の話で、個々人ではかなり分散する話ではあると思います
が。


で、なんでそんなこと書いたかというと、医師と看護の違いは男と女の違いに通
じるところを感じるのです。

医者の本質は、診断と治療、とざっくりとは整理できる気がします。
でもそのどちらの本質も、「物語をつくる」ことだと感じます。

典型的な疾患、典型的な体、というのは理想の世界にしかない。つまりこの世に
は存在しないわけで。教科書には書いていないような非典型的な病気の状態しか
ないなかでその病気だと断定していく。それが、診断。そして、教科書どおりな
理想的なからだなどない中で、微妙にコントロールしていくのが治療。その極致
にあるのが手術なのでしょうね。

そこで重要になってくるのは、どちらも、物語をつくれる能力。
典型的な物語(教科書的疾患)とのずれを感じながら修正しながらどれだけ説得
力のある物語(その人の疾患物語)をつくれるのかが診断であり、ずれてしまっ
ている物語(病気の状態)をいかに元気な状態という物語に、微調整しながら無
理矢理に修正するかが、処置であり手術。
男の勘。
そう、研修しながら感じます。

対して、先日ナイチンゲールをやっと読みました(汗
そこで彼女が何度も繰り返すキーワードが、「観察」。
観察して観察して、よりよい方向に導くのが看護だと、彼女は書いていると感じ
ました。看護は愛だ、といった「与える」というイメージではなく、観察こそが
看護の本質だ、と書いているのだと僕は感じました。そう、五感を使って観察し、
きっちり変化に気づくことができなければ看護ではない。
女の勘を感じます。

現場でナースをみていても、女性の能力をシステムに組み込んでいるな、と思い
ます。身近なことだと、申し送り。看護師は3交代or2交代で病院で働いているわ
けですが、その交代のときは会話で申し送る。
…男だとそんな引継ぎできない、といつも見ていて思います。

医者は男であるべきだ、とか、
看護師は女であるべきだ、とはまったく思いませんが、
歴史的に、男女の違う能力が入り込んでいる気がするのですよね。


…どうなんですかね?

2006年09月11日

医者ではない医療従事者も病院で影響力を持てるようにしたい!

この間、I-cubeではない医療系の活動の仲間に言われ、結構へこんだことばがあった。

「この間のI-cubeの企画、何人の【医学生】がきたの?」


…医者(臨床医)は、確かに医療のシンボルだと思う。
医者でなければ医療はできないと思っている医学生でない医療系の学生も多い。
現場も、医者がウンと言わなきゃ、できないことはあまりに多い。
医者(臨床医)がよければ、現場はよく回る。
それは、事実。

…でもそれでも、いい医者(臨床医)がいればいい医療ができる、という固定観念は、間違えていると思う。

医者(臨床医)が医療をするのではない。
病院が医療を実行するのだし、
基礎医学者や研究医学者が研究するから医学が進歩し、現場の医者はその進歩した医学を使うだけであったりする。
医学教育者が良質な医療従事者を育成するから良質な医療が行える、という観点もある。

医者はシンボルではあるけれど、また基礎能力が他の分野のひととくらべて高いけれど、でもやっぱり、シンボルでしかないと思う。
医者だけで医療は成立しない。
当たり前、と言われることではある。
でも、軽視されすぎている当たり前、だと思う。

臨床医以外の存在が、あまりに軽視されすぎてはいないだろうか??

「医者は患者と向き合うことがすべて、100%を患者にむけなさい」
は、医療医学をわかっていないひとの科白だ。

僕は、現場の医者だけが作る医療、ではなくて、関わるすべてのひとが作る医療、としたい。
それこそが、本質に届ける仕組みだと思う。
今の、医者がすべて、は、表面的にはわかりやすいし確かに今よりよくはできるだろうけれど、本質的なところには届かないと思う。


まだ俺に実力がないから、証明できないけれど。
証明したい。実力、つけないと…

2006年09月10日

医者以外の人間も、病院をかえれるようにしたい!

この間、社会人の医療活動の仲間のひとに、聞かれた。

「I-cubeのこの間の企画には何人の【医学生】があつまったの?」

と。その質問をかみ締めつつ、そのあと、へこんだ。

患者には、医者が見えやすい。
感謝のことばを独り占めするのは医者だったりする。
現場でも、医者という権力者を越えて改革をすることは他の職種だと難しかったり、あとやっぱりどうしても力不足で医者のところには届けない医療従事者は多い。

でも、医者だけが病院を変えれる、という一般的な考え方には、それでもやっぱり、異を唱えたい…。
医者がウンといわないと、よりよく変われない病院。医療。
それは、間違えていると僕は信じる。
医者がウンというか言わないかは別次元に、よりよく変われるようなシステムが正しいと思う。

医者がどれだけいるか。
今の医療は、確かにそれがとてもとても意味がある。
でも、本質的な正しい答えには、それでは届かないと思う…。

医者が医療を行っているのではない。
いろいろな職種が関わっている病院が医療を行っているのだし、
医学は医者の向こう側で基礎医学者によって発展しているのだし、
医学教育者が良質な医療者を育成することで良質な医療が実行される。

医者は、医療のシンボルではある。
わかりやすい。

けれど、シンボルに過ぎない。
本質は、違うと思う。
医者だけで、医療は正しく変えれないと思う。
病院は正しく変えれないと思う。

医者、だけでは。

証明するには、俺はまだまだ実力不足だけれど…

2006年09月07日

男の勘と、女の勘と

このあいだ友人と、おとことおんなの勘の違いについて話をした。

そもそも勘とはなにか。
ずれ、を感じ取る能力だ。

男の勘は、本来あるべ理想的な論理、とのずれを感じる。
対して女の勘は、本来あった通常、とのずれを感じる。

話していてそんな結論になった。
もちろん、男と女の精神構造の間に明確な敷居があるわけではないし、あくまで平均値は、の話しかできないが、たしかにそんな気がする。

ひっくりかえすと、論理的思考ができない男と、ふつうが何か勉強していない女は、レベルが低い?
できる男は「新たなふつう」を作り出す、できる女は「ふつうの新たな先」にすすむ。
そういいかえることができるかもしれない。


つれづれに、考えてみた。

2006年09月01日

男と女の違い?

おとことおんなの後輩は動いてもらい方がどうしても変わる。
おとこの頭の中はシミュレーションしやすく動いてもらいやすいのだけれど、おんなの頭の中はシミュレーションしにくくてどうしても時々ちぐはぐになる。

なものでその違いをちょこちょこと探している。

先日、ひとつまた気づいた気がした。

あくまで平均値での話しなのだけれど、
女性って「お金とかを消費すること」がすき。買い物とか食事とか、とてもとても熱中する。貯金や倹約が好きな女性も結局は未来に消費することを意識していたりするし、結局消費している量は多かったりする気がする。

ひるがえって男性は、「蓄えること、探求すること」がすき。「時間を消費すること」がすき、とも言い換えられるかもしれない。何かを実行すること(まあ身近なところだと女性への興味?)には直接の興味はもてるけれど、直接の消費には女性ほど熱中できない。

…特に自分は、最近サラリーも入ってくるようになったので、そろそろ消費癖をつけたほうがいいのだろうなーと思って財布の紐を緩めてみたのだが、お金を使っていても何にも楽しくない…。消費は自分にはむいていないのだなぁ、と思い知っています。まあ、未来にはパートナー(できるのだろうか?:汗)に消費してもらってよろこぶ構造つくればいいのだろうけど。

…なーんてかんじたのだけれど、どうだなのだろう??