先日、とあるナースとディスカッションする機会があって、あたまにきて、書いてしまったメールです。
論理の浅いところもあるとも思いますが、長文ですがお暇なときにご笑覧いただけると幸いです(汗
ついでに。
ナイチンゲールの『看護覚え書き』
は、医療と医学を考えるのにとてもいい本です。機会があればぜひ☆
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頭に血が上ってしまったのは、訪問看護は何ができなくて困っているのか、何が
できるべきなのか、という話をしていたときでした。大まかなところは強く納得
するところもあったのですが、どうしても見過ごせないところがありました。
『一定の教育を受けた訪問看護師の限定された薬の処方(緩下剤、鎮痛剤)、尿
・血液・分泌物等の検査指示、を許可すべき』
という項目を聞いたときに、
「ナースが医者化してどうするんですか?!」
とぼくは思わず叫んでしまいました。
4つの視点、からです。
まず、歴史を振り返ってみます。
医者って昔から極限状態に手を打つという華々しい職種ではありますが、実際に
やっていたことは、西洋医学では、つい150年くらい前までは手を出したがゆえ
に人の寿命を縮めた、という状況の方がはるかに多かったと思います。
当時までは清潔操作という概念がまるでありませんでしたし(「西洋」医学、に
は)、使える手段も水銀とか体に悪い薬とか、瀉血(体から血を抜くと元気にな
るという迷信が医学を支配していた)とか、下剤とか、で医学は行われていた。
華々しくはあったけれど、でも、結果は伴っていなかったはず。まあ、医学で命
が救われたらめっけもん、という程度の認識だっただろうから、王様が触れば病
気が治るという「ロイヤルタッチ」がごとく、貴重であるがゆえに重宝されただ
ろうけれど。でも、貴少であったから大切にされた、だけ。西洋医学の起源はそ
こにあることは、忘れてはいけないと思います。
対して看護は、実行者たち個々人の顔は見えない地道な作業ではあっただろうけ
れど、確実に病気を快方に向かわせ、人を癒し続けていたわけで。結果で見れば
看護のほうが医学よりずっと役に立っていた時代の方がずっと長いはず。
看護の力で奇跡、は起きたとしても医者の手柄になっただろうから目立たないけ
れど。でも、実直にひとの命を救い続けてきた。
その後、医学は錬金術とともに科学の枠組みで急速に発展したから今のようにい
ろいろできるようにはなりましたけれど、看護が医学の下、ということはないは
ずです。
下手な治療は患者の害になるのです。下剤でだって状況しだいでひとは殺せる。
そんな下手な治療や下手な検査より、本質的な看護の方がずぅっと上。
でも、かたちが目に見えやすい下手な治療や下手な検査の方が、看護より医学に
華があった昔からもわかるように何か結果を出していると思われやすくて、形に
見えにくい看護より重要視されやすい。
看護師による検査や処方を通してしまったら、下手な治療・検査ができる前時代
的な「似非医者」に看護師はなり、ほんとうの看護師が減ると思います。それは
医療を大きく後退させる。ほんとうの看護師、は、ほんとうに重要なのに…。
だから、なんてプライドのない医療の未来をつぶすことを看護協会のそのひとは
主張しているんだ…と思ってしまいました…。
二つ目、危険の増大と医療費の圧迫。
とりあえずの治療やとりあえずの検査って、患者にも医療者にもこころにとりあ
えず「手は打ってみた」という平安をあたえることはありますが、本質的な解決
には繋がらない。
まあ人間には治癒力というものがあるわけですからそれでも自然に治ることは多
いです。わざわざ薬で治療する必要のない病気もよくあるわけで。
そして大切なのは、ほんとうに危ないものが表面的な検査結果のせいで見逃され
る、ということもよくある話です。検査結果陰性だけれど実は重篤な病気という
のはしばしばある話で。また、検査結果を真に読み込み診断に結びつける、とい
うのはとてもとても難しいことで、医者でもしばしば見落としはあったりします
そんな難しいことを看護師までできるようになったら、リスクが増えます。
下手な検査や下手な治療をする前に、看護の研ぎ澄まされた目で見て、医者に見
せたほうがいいのか家でケアを十分すればいいのかをきっちり判断するほうが、
ずぅっと大切だと思います。
あと、検査にはお金がかかる、ということも見逃せません。
医療費の増大が叫ばれる今、きちんとした医者は無駄な検査はしない、無駄な処
方はしない(危険も増やすし…)、という哲学をもって、お金のかからない医療
を追求しています(検査をしないということは医院経営を悪化させますけれど…)。
そんな中、看護が検査や治療をできるようにするなんて、時代に逆行します。
看護が検査や治療をできるようになったら、絶対に、看護力を研ぎ澄ますのでは
なく、安易にとりあえず使える検査や治療に多くは頼りきる未来が出現します。
歴史がそれを証明しています。
看護師が下手に医学の領域に手を出せるようにしたところで、医療への害が出現
するだけだと思います。
三つ目、ナイチンゲール。
僕は、ナイチンゲールは看護を科学的にした偉大なひとだと思います。
彼女は『看護覚え書き』で、
・とにかく、観察し続けること
・観察に基づきより回復に向かうように、食事・環境などを丁寧に丁寧に整える
こと
・何か異常があったらきちんと医師に伝えること
3点が重要だと書いています。
病気を診断し、その病気に合わせた治療法を処方する。それは医者の仕事だと彼
女はきちんと認識しています。その前提のもとに、看護の重要性を彼女は説く。
そういったナイチンゲールに反することが、その主張だと思いました。
ナイチンゲール=看護、ではないですが、でも、看護は看護としてすばらしいと
いうのは真実だと思う。安易に医師の領域に足を踏み出して、医師にはできない
看護originalな力を失うのは、やめていただきたい。
4点目として医学と看護の違いを…。
…看護学を勉強したことがない私ですが、看護を論じてみます。
看護のキーワードは、
【観察】
【環境整備】
のふたつだと思います。
看護は、少なくともナイチンゲールは、
1.より改善している
2.改善している
3.変化していない
4.悪化している
5.より悪化している
のどの段階に患者の状態があるのか、全力で【観察】することからすべてをはじ
めていると思います。
そして、より上の段階に患者をもっていくために、身体的環境、物理的居住的環
境、栄養的環境、社会的環境、心理的環境、医学的環境を、【あらゆる環境を科
学的に論理的によりよいものにしようと手を尽くす】のが、看護だと自分は理解
しています。
つまり、
「観察」→「環境整備」→「観察」→「環境整備」→…
をひたすら繰り返しよりよい患者の状態をつくり続けるのが看護なのではないで
しょうか。
…さらに(西洋)医学を論じてみます(研修医ですけれど:汗)
(西洋)医学のキーワードは、
【物語】
【一元論】
の二つでしょう。
(西洋)医者の診断は、病歴聴取から始まります。
いつ始まったのか、どんなふうにおかしいのか、どの部分は正常なのか、などな
どなどを聞き出します。
そして身体所見をとり、
さらに必要な検査をします。
そして、異常・正常な状態が、過去から現在にいたるまでどんな経過で変化して
きたのかという【物語】を捉え、その【物語】をもとにその変化すべての原因と
なっている【たった一つの異常】を見つけ出す。
病歴聴取→身体所見→検査所見と三つの段階を進むたびにどんどん異常が存在す
る部位・原因の可能性の範囲を狭めていく。
それが、医者の診断過程です。
(だから、検査からはじまる診断、などありえなくて、検査好きの世の中はどう
にかしないといけないわけで…)
そうして見つけた【たった一つの異常】をひっくり返し【物語】全体を正常また
は正常に近い状態にしようとするのが、治療なわけです。
で、そんな(西洋)医者にとって、
たった一つの異常を確信をもって見つけるためには、検査は必要です。
たった一つの異常をひっくり返すためには、薬や手術は必要です。
でも看護は、観察と環境整備に全力を尽くすのが本分でしょう。
であれば、検査以上にたくさんの情報が、きちんと看護的観察をすることからみ
えるはずです。そうでなければ質の低い看護にすぎないでしょう。
副作用のある薬を使う必要なく、いろいろ環境整備により最善な状況をつくりだ
すことはできるはずです。それをしない看護は、怠慢でしかないでしょう。
医学より質の高いことを看護はできる。
そのように、看護師には科学的・論理的に主張していただきたいと思うのですが…
実際、できると思うし。
看護は看護として重要だ。
ナースがそれを発信できなければ、ほんとうのナースがいない日本の医療が未来
にまっています。それは、日本の医療にとって大きな損失だと思います…。
…今、いったい何が「看護」なのか、看護大学ですら見失っていると思います。
「白衣の天使」とか、
「看護は愛だ」とか、
本質とはまったく関わりない、綺麗なドラマを感じる、けれどrealではない言葉
でモチベーションが維持されている。まあだから、不自然な状態が継続して看護
の元気がうせ、離職率・転職率・一時退職したあとの再就職率、が極めて高いと
いう結果がでてきているのだとは思いますが。
そしてまあ、不自然なモチベーションで維持しなければいけないほど、世の中は
(看護師たち自身ですら)看護を重要だと思っていないという根本問題があると
も思いますが。