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大学研修と、「骨格」と

今、「落ち目」な大学病院な研修をしていて感じる。

大学病院の研修、少なくとも内科は、悪くない。と。
(外科系は回っていないので自分にはわかりません…)

もちろん、大学病院には、糞食らえ、な仕事が研修医には山ほどある。
昔のスポ根であったような科学的根拠まるでなく分析してみたら結局は体をいじ
め壊す手段でしかなかったうさぎ跳びに似た体育会系的しごきがごとく、くだら
ない指示書書きをはじめとした病院の不条理が研修医に集積し、仕事量はとても
多い…。そして、振り返ってみると、その一日で達成した仕事量は市中病院で達
成できるものと比較しとても少ないことに虚脱する日々が続く。おかげで本や論
文読む暇なかなかつくれない。論文の山がそこにあるのに、手を伸ばせない悔し
さが募るのが大学研修で…。
その上、給料は安い…
ほんとうに、体育会的不条理が、研修医に集まる。

なんだけれど。

自分の個人的な、小さな経験でしかないけれど、大学病院は(少なくとも都会の
大学病院は)ほかの病院とは桁違いのプレッシャーに「晒される」。

研修医は毎週の教授回診とか毎日の指導医の回診での要求されるプレゼンテーショ
とかに晒され、叩かれ、打ちのめされる。上からの突っ込みに悔しさを感じると
きはしょっちゅうある。患者のため、ではなく、回診のため、に自分が病院にい
る時間の多くを使っているところは、正直なところある…。
大学病院自体も、普通の病院とは桁違いのプレッシャーに晒され、医療過誤訴訟
対策とか個人情報保護とか、現場の人間としては非常にうっとおしかったりする。
ほんとうに、いろいろ、心の底から、うざったい…。もっともっと大切なものあ
るだろうに…と感じながらも要求されるからしょうがないなとこなしたりもする。

なのだけれど。

晒されてこそ、そして晒されながら上級医に導かれてこそ身につく「型」「骨格」
を感じる。基礎医学がそばにあるからこそ身近になる「型」「骨格」が、医者を
する上で大切なものになる気もする。
症例数、と言われる。
市中病院では、量、どれだけの症例に触れることができたか、どれだけの症例を
改善できたか、が重要視される気がする。でも、それだけでいいのかな?

週一回の教授回診での口頭でのプレゼンテーションとか、
背景を含めた論文の精読を要求される抄読会とか、
準備にとても労力が必要で、時にいろいろダメージを受け、時にいろいろひっく
り返される(汗)、他の業界のひとにはおそらくは前時代的と切って捨てられる
仕組みの奥に、たいせつな何かがある気がします。

研修医にとって大切なのは、
すぐに臨床現場に役に立つ強い武器とか必殺技とかをいくつ身につけられるかではなくて、
自分のからだの中央に、すきっと強く永続的に存在する骨格をいかに身につけられるかだと思う。
それはつまりは、academicを身につけることだと思う。


もちろん、今の大学病院研修はいろいろなところがだめだめで…。それは事実と
してあって…。でも、そんな大学病院の研修もいろいろ味わい深いところがある
ことは、指摘されるべきだと思う。

…ほんとに、大学病院が働きやすくなってくれれば、最高なんだけれどなぁ…
無理なのかなぁ…


…最近の株式会社が「自分たちはこのように素晴らしい」と喧伝して株価をあげ
たり、昔からファッションとかで「今度の流行はコレ」と勝手に言うことで市場
を創造したりすることの逆回しで、おそらくはそれで得をするひとたちがいるこ
ともあるから大学はいろいろ叩かれているのではないのかなぁと感じることもあ
りながら…。

まあ、目先の結果が重要視される現代日本の風潮に、今の大学はあわないところ
もまた確かなところではあると思うけれど…

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