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李啓充氏、福島県大野病院事件について書く

「李啓充氏、福島県大野病院事件について書く」

『アメリカ医療の光と影』の李啓充氏が福島県大野病院事件について今週の週刊医学界新聞に書いていたのが気になったので紹介させていただきます。

 5.〔連載〕続・アメリカ医療の光と影(112)(李啓充)
 「殺人犯? それともヒーロー?(2) 」
 http://210.139.254.43/cl/JuU/JqY/dU/6Lh3c/

カトリーナで限界状況の中で献身的に医療をしていた医師が殺人罪に問われたこ
との類似の事件として大野病院事件を取り上げています。

(以下引用)
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ニューオーリンズのポウ医師は,カトリーナという大嵐の直後,勇敢にも現場に
踏みとどまったがために殺人罪で逮捕されるという仕打ちを受けたが,いま,医
療「崩壊」が進む日本の医療現場でも類似の事件が起こっているように思えてな
らない。私がこんなことを危惧するのも,長年の医療費抑制策の弊害で,日本の
医療にも,カトリーナ後のニューオーリンズのように,「人手や物資(日本の場
合は特に人手)が著しく制限された状況」が広がりつつあるからである。

(中略)

特に,日本の診療科の中でも医師不足が一番深刻といわれているのが産科である
が,バックアップ体制が十全とはいえない地方病院の産科で一人科長を担当する
ような状況は,カトリーナ後のニューオーリンズに踏みとどまるのと変わらない
ほど,勇敢かつ献身的な行為と言っても言い過ぎではないだろう。いま,東北地
方のある病院で一人科長をしていた産科医師が,術中死亡例の刑事責任を問われ
て公判中というが,ポウ医師と同じく,過酷な状況にもかかわらず勇敢に踏みと
どまって献身的に働いたが故に犯罪に問われることになったのだから,これほど,
日本の医療者の「士気」を損なう仕打ちもないだろう。日本の司直担当者に,
(法律についても医療についても素人である)オーリンズ郡大陪審の陪審員ほど
の理性と常識が備わっていたならば,起訴はもとより,逮捕にもいたるはずのな
かった事例ではなかったろうか

「手術で患者が死んだら医師の両手を切り落とせ」と定めたのは,紀元前18世紀
に制定されたハムラビ法典だった。「手術で患者が死んだら医師の刑事責任を問
え」という発想は,4000年前のバビロン王朝と何も変わらないのだが……。

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こちらのブログにある公判記録も合わせて読むとなかなか分かりやすいです。

 ロハス・メディカルブログ
 「福島県立大野病院事件第七回公判(1)」
 http://lohasmedical.jp/blog/2007/08/post_824.php


まあ、とある場所での検察のひとの話ですが、

・このタイミングは精神的な揺さぶりというよりは警察の年度末の異動時期にあ
わせただけか?
・こんな事件は普通は逮捕しない
・捜査するにしても在宅調査が普通
・奥さんが出産間近ならなおさら
・この捜査陣は何も考えていないのでは?

というような側面もあるようです。
このような事件で、医療者はいつも身内をかばう、といわれるなどなど、無益な
恨みの応酬があり、みんなが疲弊し、この産婦人科医が救えるはずだった多くの
ひとが救われなくなるなどの無益な悪循環は何とかなくなればいいなと若手とし
ては感じます…。
医療の救命救急という側面と、不老不死の追求(若く健康な人間も不死ではない
のに)という側面との区別ができないがゆえに、死の悲しみからの逃避のために
医者を生贄にする非生産的な儀式は、結局社会を後退させると思うのですが…。

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