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2008年03月21日

胸部単純写真による肺炎、および抗酸菌感染症の画像診断

胸部単純写真による肺炎、および抗酸菌感染症の画像診断

肺炎を胸部X線だけでどこまで考えれるんだろう…と本で調べてもまったくもってわからないのでネットでしらべてみたら、とても勉強になるページを見つけた。沖縄の医師会報の記事だけれど、とてもとても面白い。ぜひ一読を。

2008年03月20日

記事「患者の絶望を叶える」

『週刊医学界新聞』2772 号
〔連載〕 名郷直樹の研修センター長日記 (50)  患者の絶望を叶える  
http://210.139.254.43/cl/JuU/MsT/eT/6Lh3c/


名郷直樹先生の週刊医学界新聞での連載、今回も面白かったので紹介してみます。

話は外来。検査をしてくれ、と外来に来る患者の話。大丈夫だから、といっても
通用はしない。

(以下抜粋)
『結局そうなるんだから,患者の希望をさっさと叶えて,CTを撮ってしまえばい
いのだ。確かにそうだ。それも一理ある。で,実際そうなる。そのほうが数こな
せるし,病院も収入になる。そこで別の研修医のまた別の患者。 』

『またか,そういう感じである。そんな患者に,ただ心配ないといっても納得し
ない。医者より検査のほうが信頼できる。そういう信念がある。』

『保険を使うということは3割負担だ。それを多いと見る向きもあるが,これは
普通の買い物からしたら恐ろしく安い。常に7割引で検査を買えるのだ。少しで
も健康に不安があれば,次の検査を買いたくなるに決まっている。』


外来とかでつくづく、力が抜けることがあります。
検査をしてくれ、という患者。
検査するまでもなく重い病気である可能性が低い人の検査を、なんで保険でやら
なきゃならないのか。健康診断うければ10割負担なのに、ちょっと健康について
不安を持って病院にいけば、頭のてっぺんからつま先まで、7割引で検査を受け
られる。そして、受けさせなきゃいけない。今の世の中、訴訟やら医療過誤やら
の怖いから、訴えがあれば、病気じゃないと思いつつも病院側も防衛のために検
査をしなきゃいけない。でも、無駄な検査をすればするほど、ほんとうに必要な
ひとへの検査がやりにくくなる。

検査をしても、ほんとうは安心なんかできない。
何か異常があることをみつける検査は難しくはないけれど、異常がないと断言す
る検査なんてあんまりないのだから。値段の高い検査ほど、そんな傾向があった
りします。
まさしく、異常があることをみつける、「絶望を叶える」ための検査が、値段の
高い、患者が好む、信用できると思っているけれど実は信用できない、検査。

また違う視点で書けば、だいじょうぶですよ、というプロの医者の言葉は今時の
都会の患者さんたちは信用しないから、検査を好む、ともいえる。人より機械が
信用できる。機械より人は信用ならない。結局のところ信じちゃいない。そんな
感情を感じ取って、医療者側もやる気をなくす。

そんな医者の気持ちを医療者じゃないひとたちにぜひ読んでみてもらいたいな…
と思った文章だったので、紹介してみました。

2008年03月19日

記事「容体安定の患者に転院求めトラブルも 救命救急センター」

関西asahi
『容体安定の患者に転院求めトラブルも 救命救急センター』

ちょっと古い記事ですけれど。

ここしばらくERで仕事していますけれど、救急科の医師たちのとても重要な仕事っ
て何かといえば、【転院交渉】。
これがとてもとても気力を蝕む仕事なんです…。だって、ベッドがあかないと、
毎晩発生する救命救急治療が必要な患者を救うことができないから。

でも今時どこの病院もベッドなんていっぱいで。患者さんの都合も考えながらい
くつも電話して頭下げて、それでもなかなか転院先なんて見つからなくって。
だいたい、救急のベッドはよくめがとどいているし、看護も厚い。外に出たらもっ
と看護のレベルは落ちることも多い。救急病院みたいに新しい機械はおいていな
いことも多い。検査とか看護とかで質の落ちる外病院に行くことを嫌がったり、
そんな処置をする救急科医師に不満を持ったりする患者もいるなと感じます。
(そもそもは不要だから余計なコストを全ての病院が背負うべきではないのが日
本の保険財政のためであり患者のためであり日本の未来のためである、というの
は患者の理解は得られるはずもない理屈で…)。

「つらい仕事が嫌だからと開業医として逃げ出すモラルのない医者たちがいるか
ら日本の医療が崩壊するんだ」なんて好き勝手なことをTVでしゃべっている不勉
強な知識人がいたりしますけれど、まあ、いろいろな無知が重なって、無茶を現
場が背負わざるを得なくなっているのを、もうちょっと知識人たちぐらい理解し
てほしいなと思ったりします。

時間を選んでくれない産科医療に最近光があたってきましたが、
より時間を選んでくれない救急科医療にも、もっと光をあててほしいなと感じま
す。


(以下転載)
2008年02月25日

 生命の危機に陥った救急患者を一人でも多く受け入れるため、救命救急センター
が空きベッドの確保に躍起になっている。比較的症状の軽い患者も押し寄せた結
果、満床状態が慢性化。救急隊の搬送要請を断る理由の一つになっている。入院
患者を院内の各診療科やほかの病院に移すのも救急医の仕事だが、転院を望まな
い患者や家族とのトラブルは尽きない。国の医療費抑制で病床数が減らされる中、
「綱渡り」のやりくりが続く。
   
    ◇

 朝9時、2〜3人の医師がカルテを片手にタウンページをめくり、おもむろに
電話をかけ始めた。大阪市立総合医療センター(同市都島区)に併設された救命
救急センターのいつもの光景だ。満床で重篤患者の受け入れが不能になる事態を
避けようと、入院患者の転院先をひたすら探す。

 患者の自宅近くに移ってもらうのが理想だが、つてがない。「電話帳で上から
順にかけるのが手っ取り早い」。週末はほかの病院が休みで交渉が難しいため、
毎週金曜日は最低でも10床は空けておきたい。大半は数回の電話で受け入れ先
が見つかるが、入院が長引きそうな高齢者は苦労する。

 全国の医療機関の病床数は96年の191万床から06年は179万床に減少。
一方、救急搬送される患者は324万人から489万人に急増した。厚生労働省
は「地域の病院との役割分担や院内の連携を深め、空床を確保してほしい」と呼
びかけるが、現実は厳しい。

 「冬場は特に病床の確保が難しい」。高度救命救急センターに指定されている
兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)の小沢修一センター長は嘆く。寒くな
ると、脳血管障害や心筋梗塞(こうそく)、火災による重度熱傷などの患者が増
加。午前中に転院させた患者のベッドに午後、急患を運ぶ。病床稼働率は100
%超だ。

 救急病院が減る阪神地区や姫路市周辺からの搬送例も目立つ。「それぞれの地
域内で急患を引き受ける体制を再構築してもらわないと、こちらがパンクしてし
まう」

    ◇

 この年末年始、奈良県立医科大付属病院(橿原市)の高度救命救急センターで
は、集中治療室(ICU)と救急治療室を合わせた30床の患者がほとんど入れ
替わった。

 特にICUは常に2〜3床を確保しておく必要がある。このため、入院患者の
家族の同意をあらかじめ取っておき、深夜に救急搬送があれば、患者が横たわる
ベッドごと別の部屋へ移す。救急医は「事前に了解を取らないとトラブルになる」。

 軽症患者まで幅広く受け入れる神戸市立中央市民病院の救命救急センター(同
市中央区)。ベッド確保のため、各診療科の病棟を見回るのが佐藤慎一救急部長
の日課だ。

 入院する救急患者は1日平均18人。救急用の30床はすぐに埋まり、2日ほ
どで一般病棟に移ってもらう。各科の協力が不可欠だが、がんなどの手術も多く、
退院や転院が追いつかない。やむを得ず、救急患者に外来用のベッドで「待機」
してもらうこともある。

 容体が安定した患者に「手術を待っている人がいる」と転院を促しても、なか
なか納得が得られない。「こんなに早く放り出すのか」「なぜ最後まで診てくれ
ない」。病室に非難の声が飛ぶ。

 佐藤部長は強調する。「病院全体で救急用ベッドを探しているが、ぎりぎりの
状態だ。緊急性のない救急病院の利用で、ほかの患者が犠牲になることを知って
ほしい」

2008年03月14日

AIDS 帰国支援

自分がこの4月から所属する、佐久総合病院 総合診療科の高山義浩先生があるMLに投稿
されていた内容を、許可をいただき転送します。


    ………………………………………………………………………

 先週末、タイに行ってきました。未明に着いて1日活動し、翌朝に離陸とい
う忙しいスケジュールでしたが、エイズ発症患者を安全に航空搬送し、現地の
医療につなげるという任務は果たせました。私の働く佐久総合病院では年に一
人ぐらいのペースでこうした帰国支援症例が発生しています。

 以下、患者個人の特定がなされないように配慮していますが、「たらい回し」
になりかけた自らの経験をもとに、今後の外国人診療の拡充を期待される御本
人の御意向もあり、事実関係の改変なく紹介したいと思います。

 今回帰国させたのは、長野県内でセックスワーカーとして働いていた20代
の女性でした。スナックを訪れる客が希望すれば連れ出されます。休憩で2万
5千円、宿泊で3万5千円。そのうち1万円を店がとり、残金は彼女の借金が
減額される仕組みです。手配師により日本へ連れてこられる前に、彼女には死
んだ父親の借金がありました。私生児の2歳の男の子もいます。480万円で
身売りすることを自ら決意し、老いた母親に子供をゆだねたのです。これ以上、
借金を世代を越えた問題にしたくなかったのです。

 2年間、死に物狂いで働いたと彼女は話します。当然ビザは切れ、パスポー
トも無効になっています。摘発されるまでの勝負ともいえます。前述のように
セックスワークの報酬は手元に残りませんから、スナックでの日当3千円が彼
女の生活費です。しかし、住居費と食費と称して店は月額6万円を請求しまし
た。よって、手元に残るのは月に2万円余。彼女はほとんど手をつけず、養育
費の足しにと母親に仕送りをしていたということです。

 昨年の春頃から異変を感じていました。よく風邪をひき、下痢が長引くので
す。仕事をするのが辛かったですが、日本語のカラオケもひと通り覚えて、馴
染みの客もついてきました。まだ借金は200万円残っています。勝負はこれ
からです。しかし12月、突然、右手が動かなくなりました。整形外科医を受
診したところ、寝る姿勢が悪く末梢神経の圧迫によるものと診断され、ビタミ
ン剤を処方されました。下旬になると右足を引きずるようになりました。整形
外科医はビタミン剤を追加処方しました。ところが鍼灸師を受診したところ、
これは脳の病変だから画像診断を受けたほうがよいとアドバイスされました。

 近隣の総合病院でCT検査を受けたのが12月末。多発性脳病変を認め、H
IV抗体検査陽性。「すぐに帰国して治療を受けなさい」と診断した医師に言
われました。さらに「それまでに何かあったら別の病院に行きなさい」と言わ
れ、紹介状を手渡されました。

 そして日本は正月休みを迎えたのです。パスポートもビザも失効している彼
女に打つ手はありません。不安と戦いながらアパートでじっとしていました。
左の手足は完全に動きを失いました。嘔吐と頭痛。本当に久しぶりに4歳にな
る息子に電話をかけました。「ずっと帰れないかもしれないけど。お母さん元
気だからね。勉強いっぱいするのよ」と、最後の会話と彼女は覚悟していまし
た。

 正月が明け、訪ねてきた友人により意識朦朧としているところを発見されま
す。友人は車をとばして都内の入国管理局とタイ大使館に連れてゆきました。
しかし、どちらも「こんな状態で帰国できるはずがない。地元で治療してから
にしなさい」とのこと。東京からの帰路において、ついに意識不明、呼吸状態
も不穏となりました。大使館にあらためて友人が対応を求めたところ、当院に
問い合わせあり、受け入れ決定ということになりました。

 緊急で撮影したMRIをみて、私は慄然としました。多発する脳病変は大き
いもので5cm大。脳幹は圧排され、髄膜炎も伴っていました。脳外科と相談
してオペを施行し、最大のものについて生検目的を兼ねて隔出していただきま
した。生検結果はトキソプラズマ。その後、特異的治療に徹底した全身管理、
廃用防止リハを継続したところ、20代という若さにも助けられて徐々に回復
しました。そして2ヶ月が経過し、彼女の意識は完全に回復し、普通の食事が
可能なほど全身状態も良好となりました。ただし、残念ながら左半身の麻痺は
固定してしまいました。再度撮影したMRIでは、病変が圧迫していたからで
しょうか、脳梗塞を起こしていたことを示していました。

 急性期を脱したいまは、帰国すべき段階と判断しました。正直なところ、す
でに500万円を越えている医療費も当院にとっては限界といえました。未収
金確実の医療費をこれ以上重ねることは難しい状況です。大使館とNGO
(シェア)と密な連絡を開始し、2月中旬の帰国日程を確定。現地の医療機関
とケースワーカー、地元NGOの紹介をいただきました。予測されたことでし
たが、搬送するタイ航空は医師同行を条件としました。ただし、6席を潰して
ストレッチャー搬送とすることに合意してくれました。

 成田空港への道すがら、彼女は静かに信州、上州と移り変わる冬の日本を眺
めていました。どこかに観光に行ったことはあるかと聞くと、何もみることは
なかったと。日本はつらい思い出の国になっちゃった。がんばったんだけど
な・・・。お客さんはイヤだった? ううん、優しい人が多かったよ。コン
ドームを使ってと頼むと「俺を病気扱いするのか! お前の方がよっぽど汚い
くせに」と罵倒されてつらかった。それぐらい。だから、コンドームのことが
怖くて言えなくなっていった。借金返さなきゃいけなかったから、仕方なかっ
たのよ。

 成田空港の出発ゲートまで車イスの彼女を押して歩くのは、たしかに奇妙な
ことでした。荷物もなく、ジャージ姿の半身麻痺の女性。両側ではきらびやか
なブランド商品と買い求める同世代の女性たち・・・。洗練された無臭の搾取
の情景。これが世界の日常なのです。

 出発ゲートの隅に車イスを寄せると彼女はシクシクと泣き出しました。座位
が長すぎたかと思い、どこか痛むのかと私は聞きました。すると彼女は、子供
におみやげひとつも買ってやれないのがつらいと言いました。少し私は考え込
みました。チョコレートでも買ってきてあげた方がいいのかな・・・と。しか
し、搾取の現実に刹那の橋をかけたとして、それが何になると言うのでしょう。

 おみやげは君自身だ。君の不自由な体だ。君が不自由な体をかかえながらも、
強く明るく生きてみせれば、君の子供にとって最高のプレゼントになる。強い
子がきっと育つ。がんばりなさい。

 彼女は何も言わず、窓にひろがる薄曇の空を見上げていました。それは、越
えてゆくにはあまりに濃密な2月の空でした。

    ………………………………………………………………………


せっかくなので高山先生の著作も、紹介させていただきます。

アジアスケッチ 目撃される文明
ホワイトボックス 病院医療の現場から


(以下、小池の私見です)

Internationalってなんなのか、ときどき考え込みます。
日本を引きずって外国に身を置いて英語を話したりすることをInternationalと
いっているひとたちってけっこう多い気がしますが、そんなんじゃないんじゃな
いかと考えたりします。

文化とか、民族とか、言語とか、歴史とか。
そういったものをこえて生きるってことを共有する、ヒリヒリするような
Internationalが本来大切なものだと感じます。それって別に、国境をこえなく
ても、外国語をしゃべらなくってもいいことで。
日本国内すぐそこかしこにちらばるいろんなInternationalを無視して、目に見
えやすい、外国・外国語一辺倒では、どこか届かない気がします。