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2009年01月26日

医療は経営を考えてはいけないのか?

医療ビジネスは悪なのか?
ビジネスという言葉を嫌う、誠実な臨床医は多い。上手く話が合わなくて、いつも悩んでいた。
そうしたら、はっとする文章を見つけた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フローレンス・ナイチンゲールWiki:フローレンス・ナイチンゲール

「ボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた」
「マザー・テレサと同様、“構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない”ということを見抜いていた」


やっぱり、そうだ。援助活動に悩んでいたひとたちは、収入にいつも苦しんでいたのだろう。今の時代だからこそ、何かするならビジネスの土俵にのせるべき、というのは飛躍が過ぎるのか。
営み続ける作業が経営。継続しないサービスは利用者にしばしば害。

営み続けることのできる形で、活動したい。

2009年01月11日

医者を集めることが病院収入と直結?

…昔から違和感を持っていた。
どうして医師の数と病院の収入が比例しなくちゃいけないのかな?と。
ほんとに医者がしている仕事ってそんなたいそうなことばっかりなのかなぁ、と。
コメディカルもたくさんいて医者にはカケラもできない仕事がたくさん病院には
あるのに、どうしてそれらは収入にならないのかなぁ、と。
昔の医師のギルドがつくりあげた医者に医療の全ての権利と収入が集まる構造と
か、その後の政治的な綱引きとか、そういった話をつつくことはぼくは好きでは
ないのですが、本質的なところにかえって、きちんと病院が成し遂げている仕事
の分、病院に収入は入らなければいけない。そのバランスが壊れているから、施
設・投資あたりの医者の比率が高い診療所は儲かり、それらに対する医者の割合
が少ない病院は儲からない。勤務医は周りのスタッフの収入のために働くような
構造ができてしまう(医者の仕事の収入を切り取り、医者だけに振り分ければ勤
務医の給料は跳ね上がる)。だから医者は開業する。

「先生、開業したほうがいいよ」

と、まじめな先生にほどまわりのまじめな気立てのいい職員はアドバイスする。
まじめな先生ほど報われていないと、病院職員たちが思っているから。
にも関わらず、医療界の外のひとたちは、

「開業するなんてけしからん! 責任放棄だ! 儲け成金手技だ!
 開業なんてできなくしてしまえ」

とこぶしを突き上げる。
その差は何なのか。

開業医を減らす圧力をかけるのではなく、病院がしている仕事の分、病院が抱え
ている職員の分、病院に収入が入るようにしなければいけない。病院の仕事の量
は、医者の質・量ではなく、職員全体の質・量で決まるのだから。
医者以外の職員にも感謝をもって診療報酬を振り分けないと、今のいびつな診療
報酬構造は変えないと、苦しい医療は続くだろう。

「おかげさまで」

最近親しくさせていただくようになった、近所の宿の80歳の女将さんのところで、ときどきおふろを貸していただいたり、ごはんをご馳走になったりしつついろいろお話をきかせていただいています。その中で、印象にとてものこったことばがありました。

宿にくるお客さんの今と昔をくらべて、
「おかげさまで、が少なくなった」
と表現されていた。

…病院で診療させていただいて、こちらが元気をいただく患者さんがいる。
こちらからの「(病気が)大変ですね...」と、
患者さんからの「(忙しさが)大変ですね...」と、お互いの相手への気持ちを交換できるとき、なのかなと思っています。

気持ちいい社会の基本は、そんな「おかげさまで」なのだろうなと思うのです。そしてきっと、日本のいろいろな場所でその「おかげさまで」がなくなってきている。そして、お金を払っている客なのだ、と権利をひっぱりだし義務を押し付ける。

もちろん、「おかげさまで」がないのは医療者の側だって同じなのだろう。医者が、患者を人間としてではなく病気としてみる、というのはだいぶ前から言われること。医者がヒエラルキーの頂点であぐらをかき「お医者様」としているうちに、人間として見てもらえなくなったのは自然の成り行きとも思う。


アメリカで医者をしている日本人のことばで時々見るのが、
「アメリカには、医者も人間だよね、というのがある。日本では医者は人間である前に医者だから」
ということば。
離島で僻地医療がしたい、と夢を持って離島に行って、ストレス等で心身ボロボロになり人生狂う医者がいるのは事実で。そんなにおいを感じるし、そもそも村の若者が離れるくらい生活の場として魅力がない僻地に医者が行かないのを、医者のモラルが足りない、と義務を押し付けるのは、ひとの心が動くわけがない。
権利や義務でひとのこころをしばれるとは思えない。

「おかげさまで」
今年一年、たいせつにしたい言葉です。