最近親しくさせていただくようになった、近所の宿の80歳の女将さんのところで、ときどきおふろを貸していただいたり、ごはんをご馳走になったりしつついろいろお話をきかせていただいています。その中で、印象にとてものこったことばがありました。
宿にくるお客さんの今と昔をくらべて、
「おかげさまで、が少なくなった」
と表現されていた。
…病院で診療させていただいて、こちらが元気をいただく患者さんがいる。
こちらからの「(病気が)大変ですね...」と、
患者さんからの「(忙しさが)大変ですね...」と、お互いの相手への気持ちを交換できるとき、なのかなと思っています。
気持ちいい社会の基本は、そんな「おかげさまで」なのだろうなと思うのです。そしてきっと、日本のいろいろな場所でその「おかげさまで」がなくなってきている。そして、お金を払っている客なのだ、と権利をひっぱりだし義務を押し付ける。
もちろん、「おかげさまで」がないのは医療者の側だって同じなのだろう。医者が、患者を人間としてではなく病気としてみる、というのはだいぶ前から言われること。医者がヒエラルキーの頂点であぐらをかき「お医者様」としているうちに、人間として見てもらえなくなったのは自然の成り行きとも思う。
アメリカで医者をしている日本人のことばで時々見るのが、
「アメリカには、医者も人間だよね、というのがある。日本では医者は人間である前に医者だから」
ということば。
離島で僻地医療がしたい、と夢を持って離島に行って、ストレス等で心身ボロボロになり人生狂う医者がいるのは事実で。そんなにおいを感じるし、そもそも村の若者が離れるくらい生活の場として魅力がない僻地に医者が行かないのを、医者のモラルが足りない、と義務を押し付けるのは、ひとの心が動くわけがない。
権利や義務でひとのこころをしばれるとは思えない。
「おかげさまで」
今年一年、たいせつにしたい言葉です。