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あきらめること,あきらめないこと

ものすごく,ひさしぶりに,つれづれにかいてみる。

病気になって,最終的に苦しいことはなにかというと,
あきらめることと,あきらめないこと。どこに線をひくのか,迷うこと。

癌も,移植も,そして寿命も。
どこまでがんばるべきなのか。
どこからあきらめていいのか。

死ぬのは怖い。病気でいるのは辛い。
けれど,頑張って,ほんとに先があるのか。
迷い戸惑い,そして苦しい。

経済が高度成長の時代,医学も高度成長していた。
いけいけどんどん。頑張ることは,医学においても基本的に美徳だった。
けれど,「スパゲティ症候群」にいきついて,どこまでもがんばる,
延命治療などへ疑問が持たれるようになった。
どこまでもがんばることは,美徳ではなくなった。

山村で在宅・老年期医療をしていたとき,よく迷った。
どこまで頑張るべきか。
家で治療をつづけるか,病院に治療を任せるか,それとも,看取るか。


・・・迷いを捨ててしまえば,楽になる。
病気は悪,病気は敵,として,徹底的に頑張る医者の道は,きっと正しい。楽にもなれる。
けれど,病気って,ほんとうに敵なのか?


イギリスは,高齢者の人工透析に保険適応はない。
腎不全の高齢者は,高齢者の枠に入ったとたんに,死を宣告されるのだ。
すごい選択がよくできたな,と思う。

がんばるか,あきらめるか。線を引く事,とても大切。
医者がその,とても大切な選択を引き受けるのは,たぶん間違い。
そのひとの人生を,そこまで支配してはいけない。

けれど,患者がその選択をひきうけることはとても難しい。
決断は苦しいし,決断するにたる情報を十分に手に入れることができるのか。
難しい。

イギリスみたいに国が指針を出すのも,方法。
実際日本も,保険点数をつけること,もしくは保険に含めるか含めないかで誘導している。
けれど,諦めるという選択を国が出すと,国民は国を恨む。
ときに,怨念が生まれている。怨念をもつことで,苦しみから逃げることが可能になるひともいる。


苦しいのは,迷うこと。

それを,みんなでもっと見つめることができれば,いいのかもしれない。

限界ある状況,限られた人間の能力で,Bestな選択肢はまず,選べない。
Betterな選択肢をなんとかみつけて,その結果の責任者を責めることはしないという納得の上で,
みんなでお互いを支え合いながら,前に進めればいいいのに。


あきらめることは逃げではない。
あきらめるから,前にすすめる。

つれづれに,ふと,感じる。

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