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2011年10月20日

あきらめること,あきらめないこと

ものすごく,ひさしぶりに,つれづれにかいてみる。

病気になって,最終的に苦しいことはなにかというと,
あきらめることと,あきらめないこと。どこに線をひくのか,迷うこと。

癌も,移植も,そして寿命も。
どこまでがんばるべきなのか。
どこからあきらめていいのか。

死ぬのは怖い。病気でいるのは辛い。
けれど,頑張って,ほんとに先があるのか。
迷い戸惑い,そして苦しい。

経済が高度成長の時代,医学も高度成長していた。
いけいけどんどん。頑張ることは,医学においても基本的に美徳だった。
けれど,「スパゲティ症候群」にいきついて,どこまでもがんばる,
延命治療などへ疑問が持たれるようになった。
どこまでもがんばることは,美徳ではなくなった。

山村で在宅・老年期医療をしていたとき,よく迷った。
どこまで頑張るべきか。
家で治療をつづけるか,病院に治療を任せるか,それとも,看取るか。


・・・迷いを捨ててしまえば,楽になる。
病気は悪,病気は敵,として,徹底的に頑張る医者の道は,きっと正しい。楽にもなれる。
けれど,病気って,ほんとうに敵なのか?


イギリスは,高齢者の人工透析に保険適応はない。
腎不全の高齢者は,高齢者の枠に入ったとたんに,死を宣告されるのだ。
すごい選択がよくできたな,と思う。

がんばるか,あきらめるか。線を引く事,とても大切。
医者がその,とても大切な選択を引き受けるのは,たぶん間違い。
そのひとの人生を,そこまで支配してはいけない。

けれど,患者がその選択をひきうけることはとても難しい。
決断は苦しいし,決断するにたる情報を十分に手に入れることができるのか。
難しい。

イギリスみたいに国が指針を出すのも,方法。
実際日本も,保険点数をつけること,もしくは保険に含めるか含めないかで誘導している。
けれど,諦めるという選択を国が出すと,国民は国を恨む。
ときに,怨念が生まれている。怨念をもつことで,苦しみから逃げることが可能になるひともいる。


苦しいのは,迷うこと。

それを,みんなでもっと見つめることができれば,いいのかもしれない。

限界ある状況,限られた人間の能力で,Bestな選択肢はまず,選べない。
Betterな選択肢をなんとかみつけて,その結果の責任者を責めることはしないという納得の上で,
みんなでお互いを支え合いながら,前に進めればいいいのに。


あきらめることは逃げではない。
あきらめるから,前にすすめる。

つれづれに,ふと,感じる。

2010年04月16日

医療に携わる者の祈り

昔の資料を整理するためにひっくりかえしていたら、こんな文章をみつけた

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医療に携わる者の祈り

主よ
私をあなたの医療の僕にしてください。
病には治癒を
負傷には救助を
苦しみには安堵を
悲しみには慰めを
絶望には希望を
そして死には受容と平安とを
もたらすことができますように。

どうぞこの私が
自分を正当化するよりも
他の人びとに慰めを与え、
服従させることよりも
他を理解し、
名誉を求めるよりも
他を愛するようにしてください。
なぜなら
私は自分を与えることによって
人びとを癒し
相手の話を聞くことによって
慰めを与え、
そして死によって
永遠の生へと生まれ変わるからです。

聖フランシスの祈り(チャールズ。C・ワイズ翻案)


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やっぱり、こんな気持ちで医者していたい。
こんなふうに仕事させてくれるところで、医者したい。

患者の痛みを感じることができない上級医なんて、くそくらえだ

2010年03月06日

なぜ僻地医療は崩壊したのか?

今日も新聞で、僻地医療崩壊の話を読んだ。
お産。車で5分のところに病院があるから安心して出産のために里帰りしたら、いざというときは車で30分の隣の県にいかなければいけない、とわかってびっくりした、という話だった。その原因は、研修制度で医者の配置が自由化されたからだと、記事にはまとめられていた。

以前から繰り返されている、論理。
なんだかなぁ。仕方がないけれど、勉強不足。


少し違う方面から話をまとめる。

医療費がなぜ高騰したか。
根本的な原因は、「生きたい!」というひとの欲望。その欲望から医療は進化し、新たな治療がつぎつぎに生まれている。技術の進歩とともに昔からの技術の値段は下がってはいるが、どうしても値段が高くなる新たな技術の出現に、値段の低下は追いつかない。
逆に、昔ながらの技術が、値段が下がったがゆえに経済的に維持できなくなり消えていく、という事態すらでてきている。昔ながらのいい薬剤が、経営効率のために消えていく、という事態などだ。


あれもこれも手に入れる。医療費は高騰し、それはできなくなってきている。そして、欲望の流れの中でいろいろなひずみも生まれている。
欲望に流されず実現可能な範囲を決断し、最善の仕組みを整える。人材も施設も限られた資源であることを認識した上で、できるかぎりの有効活用する。それが、大切。


もうひとつ、別の方面から。

今の研修制度が医者にもたらしたのは、情報改革だ。
大学卒業→出身大学の医局への入局、という、キャリアパスを医者たちが考えない時代が長く続いた。それは、医者自身はキャリアに悩む必要もなく、医局も定期的に人材を補給でき、地域も頭使わないで恩恵をうけることができた。
医者たちが、限られた情報の中にいたからだ。

しかし、研修制度ができ、医者がキャリアを考えなければいけない時代になり、かつ情報も整備され、医者たちが無知な中で仕事をしなくなった。

それは悪いことか?

医者たちは馬鹿でいろ。自分と自分の家族の人生を考えないで、きちんと僻地にいって奉仕しろ。
僻地に医者に強制的に行かせるというのは、上記を意味している。
しかし、そんな恥ずかしい欲望だと認識せず主張するひとたちは世の中けっこういて、しばしば頭にくる。


記者を通じてではほんとうの現場の意識はよくわからないし、そして記者は専門家だからしょうがないのわかるけれど、研修制度が今の僻地医療崩壊の原因とするのは、間違えている。

2009年11月23日

署名のお願い! 漢方保険はずしについて

各団体から漢方保険で使い続けることができるようにするための署名活動がはじまった.ぜひ皆さんもお願いします!!

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平成21年11月20日

漢方を健康保険で使えるように署名のお願い

NPO健康医療開発機構 理事長 武藤徹一郎
社団法人 日本東洋医学会 会長 寺澤 捷年
日本臨床漢方医会 理事長 石川 友章
医療志民の会  共同事務局長  木戸寛孝

 11月11日(水)の行政刷新会議事業仕分け作業の結果、一般用薬類似医薬品
(OTC類似薬)(漢方・ビタミン・湿布薬)を保険給付からはずすという財務省
案にワーキング・グループ15名のうち11名が賛成しました。

 この議論は長年自民党政権時代に政府ならびに財務省が再三提案しては消えた
案件ですが、今回の仕分け作業の中で、他の課題と一緒くたになって提出されま
した。過去には平成5年、6年に日本東洋医学会が署名活動を行い、それぞれ、2
週間で24万名、3ヶ月で148万名の皆様から署名を頂戴しております。

 しかしながら今回は平成5年、6年にあった保険給付はずしと異なり、診療報酬
の問題等大きな問題の中で埋もれたまま、仕分け作業班の意見が通ってしまう可
能性もあります。

 仕分け作業が終わるのが11月下旬、審議に持ち込まれる12月上旬には政刷新会
議仕分け結果の審議が行われ、そこで決定されると他の案件とともに、漢方の保
険給付がはずされる危険性が大です。

 漢方は医療の現場で医師の7割以上が用いて、がん患者さん、更年期障害など
の女性疾患、花粉症などのアレルギー疾患、腰痛、膝関節症などの疼痛管理など
に、医療の現場で医師が使うことによって、大きな効果を挙げており、医療とし
て欠かせない薬です。今回の行政刷新会議の判断は国民不在のものであり、断固
として阻止すべきと考えます。

 時間は限られており、2週間で可能な限り署名を集めたいと思います。会員の
皆様方に置かれましては、お忙しいところ恐縮ではありますが、国民の健康を守
るために是非ともご協力ください。


 電子署名をするサイトはこちら。

署名のお願い: これからも漢方が健康保険で使えるように
https://spreadsheets.google.com/viewform?formkey=dFgyVjdwa21TZXY3Vk12aDBkOFhGVEE6MA
(署名フォーム)
http://kampo.umin.jp/

「事業仕分け」で漢方薬を保険適用外とする結論について

事業仕分けで漢方薬を保険適応外にしろという議論が出た.あったまにきた.おれがみている患者さんたちに,死ね,といっていることだからだ.MRIC 医療ガバナンス学会に投稿した.こちらにも転送しておく.

もう一歩先,にいきたいとき,漢方薬はとても便利.救われない,救うことができない,とされたひとたちを救うことができる.それを,やめろと.人殺しの結論は,撤回していただきたい.


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 ▽「事業仕分け」で漢方薬を保険適用外とする結論 ▽

   佐久総合病院附属小海診療所 後期研修医
         小池宙

2009年11月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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これからは政治主導
鮮度抜群の”産直ネタ”満載
読まなきゃ損する『ロハス・メディカルweb』
http://lohasmedical.jp
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皆様からのご寄附をお待ちしております!!出産の際に不幸にしてお亡くなりになっ
た方のご家族を支援する募金活動を行っています。お二人のご遺族に募金をお渡しする
ことができました。引き続き活動してまいります。
周産期医療の崩壊をくい止める会より http://perinate.umin.jp/
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『内閣府の行政刷新会議が実施した「事業仕分け」を受け、漢方薬等の市販品類似薬を保険適用外とする方向性で結論が下された』

 ニュースを読んだとき、眼を疑った。次に患者さんたちの顔が浮かび、そして怒りと
悲しさがわいてきた。

 自分はまだ医者として4年目、漢方薬を少しずつ使い始めて2年目程度。しかしその
短い経験の中でも、漢方薬を使わなければなくなられてきた方を私は何人も見てきた。
 たとえば先週CVポート(高濃度の栄養剤を点滴するための器具)を抜去した患者さ
んも、そんなひとり。
 大腸穿孔の手術後に大きく衰弱、その後も絞扼性イレウスで小腸を半分以上切除、そ
の後重度の食欲不振となりほんとんど食事を取れない状態で、CVポートからの連日の
点滴という状態で在宅診療導入となった。毎日の点滴がつらく、ほとんど食べれないの
に点滴をはずしたいとよくおっしゃっていた。何とかしたく、六君子湯と大建中湯をそ
れぞれ1包ずつ内服とした。その数日後電話すると、飲むとおなかが痛くなるからやめ
た、とのこと。仕方がないなとしばらくみていたところ、娘から強く勧められてしぶし
ぶのむようにしたところ徐々に食欲回復、毎日三食、小さな茶碗に1杯ずつ食べれるな
っていた。そんな状態で、ポートが感染し、点滴をすると発熱するようになった。食事
を取れるようになっていたので問題なく抜去することができた。もし、この患者さんに
漢方薬を使わなければこの方の食欲は回復することはなく、食事が取れなければポート
を抜くことが難しかった。なにより、漢方薬にて食事のおいしさをまた味わうことがで
きるようになったのは、診療させていただいていてとてもうれしかった。
 他にも漢方薬で元気になったいろいろな患者さんをみた。たとえば、膵臓癌手術後の
重度の食欲不振、胃がないので腸ろうを作成し栄養剤投与していても吸収せず、蛋白質
の低下から全身浮腫と胸水進行し入院となった患者さんも印象的だった。利尿剤でも改
善しなかった全身浮腫が真武湯で改善。その後も血中の蛋白質が増えなかったため人参
養栄湯を使ったところ、徐々に蛋白質増加し状態安定。念願の家に帰ることができた。
 重度の心・腎不全で点滴での治療をどうしてもやめることができず退院することがで
きなかった患者さんで、牛車腎気丸を使ったところ、浮腫が取れ点滴から離脱できた方
を、2例みた。
 老衰による食欲低下で状態悪化しているひとで、六君子湯を飲んだところまた食べる
ようになった人を何人もみた。
 進行乳がん、乳房は崩れ肺にまで癌が進行したがホルモン療法でなんとか進行を抑え
ることができた方も記憶に強く残っている。癌は抑えることはできても全身衰弱強度。
ベッドに起き上がるのがやっとお風呂すら介助なしには入れない状態で家に帰り、在宅
診療が始まった。六君子湯と当帰芍薬散を使ったところ徐々に元気になり散歩もできる
ようになったため、半年後の今は私の外来に歩いて通ってきている。

 今自分は在宅診療を中心に仕事をしている。在宅にはいろいろな意味で限界の状態で
生活されている患者さんばかりだ。がん患者さんも多い。そういった方たちには漢方を
上手に使うと、元気にまた生きて行けるひとが多くいる。漢方を保険からはずすことは、
本来生きることができるひとたちを殺すこと。先に示した患者さんたちを殺す決定。そ
んな決定には、患者さんたちのの元気を望む医者として認めることはできない。再検討
いただきたい。

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今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。

MRIC by 医療ガバナンス学会
http://medg.jp
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2009年02月22日

リスクと医療が共存するためには

(転送大歓迎!)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆ リスクと医療が共存するためには ☆
<<I-cube 〜夢の病院プロジェクト〜 >>

■ ◆------- 3月1日(日)14:30〜 in 法政大学 ---------
■ □ << なぜ事故や不祥事が起こるのか
■ □    〜 社会の変化とそれに追いつけない専門家と >>
Produced by I-cube 〜夢の病院プロジェクト〜 http://icube3.net
――――――――――――――――――――――
参加申込はこちら!!→ http://www.icube3.net/events/20090301.shtml
・・‥‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

医療事故? 院内感染? 院内暴力?

患った人が元気を取り戻す場所、それが病院。
そこを中心に今、大きな不安が渦巻いています。
報道で医療に関わる記事を見ない日はありません。
どうしてそうなるのか?

上野治男氏は言います。
「なぜ事故や不祥事が起こるのか。
 それぞれの専門家がどんなに努力しても、その努力だけでは解消しない。
 それは社会のほうが大きく動いているからだ」

リスクマネジメントの第一人者、上野治男氏とともに、
リスクの向こう側で医療のあるべきかたちについて、考えてみませんか。

◆日時 2009年3月1日(日)
14:30開始(14:00開場 17:30終了予定)
◆場所 法政大学・新一口坂校舎5F 501教室(予定)
(交通 JR地下鉄各線・市ヶ谷駅より徒歩5分)
案内 http://www.im.i.hosei.ac.jp/IMHP/MenuGroup4/access.htm
◆参加費 無料!
◆当日緊急の場合は080-3458-9332(icube 牧野)までご連絡ください

◇◇ 講師:上野 治男(うえの・はるお)
1940年生まれ。東京大学法学部卒。65年警察庁入庁。在米大使館一等書記官、
兵庫県警察刑事部長、内閣官房危機管理等担当室長、竹下内閣総理大臣秘書官、
群馬県警察本部長、防衛庁教育訓練局長等を歴任。94年松下電器産業に入社、
常務取締役として企業法務・リスク管理・企業倫理等を担当。現在は大成建設
監査役、法政大学大学院客員教授、危機管理システム研究学会副会長等。
         ---------------------------------------------◇◇

◆参考文献:
『リスクの中に自由あり ―市民主役社会におけるリスクマネジメント』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4809031241/chuchublog-22/ref=nosim
『現場で生かすリスクマネジメント
  - 事例で学ぶ不祥事・内部告発から企業を守る方法』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4478374880/chuchublog-22/ref=nosim

◆参考 『リスクの中に自由あり』より抜粋
 (作者不詳 上野治男訳)

笑えばバカと言われるリスク
泣けばおセンチと言われるリスク
手を差し伸べれば巻き込まれるリスク
感情見せれば拒絶のリスク
夢を語ればバカにされるリスク
愛しても愛されないリスク
生には死のリスク
希望には絶望のリスク
努力には失敗のリスク。
それでもリスクは取らねばならぬ
人生最大の危険は何のリスクも取らぬこと。
リスクを取らないのは、何もしない人、何も持たない人、何の価値もない人。
リスクを避ければ、苦しみも悲しみもないだろう。
しかし、それでは、何も学べず、
感動も変化も成長もない、愛の喜びもない、生きているとも言えない。
確実だけに縛られりゃ奴隷と同じ、自由を奪われたことになる。
リスクを取るものこそ自由な人間。

◆ お申し込み&お問い合わせ―――――――――――――――――――――
会場の大きさに限りがあるため、事前に申し込みをいただけると幸いです
→ http://www.icube3.net/events/20090301.shtml まで
〆切 2月22日
当日参加も可!(ただし事前申し込みのある方を優先させていただきます)
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<主催>I-cube 〜夢の病院プロジェクト〜 http://icube3.net
<連絡先>小池宙 (I-cube代表)
http://www.icube3.net/html/contact.shtml

■ I-cubeとは? ■

患者を元気にする、医療者がいる。医療者が元気をもらう、患者がいる。
医療者から「(病気が)大変ですね...」と、
患者からの「(忙しさが)大変ですね...」が交換できるとき、
そのふたつの元気は生まれてくる。

医療者、患者、そして患者の家族。
その三者での「愛」(おかげさまで、ありがとう、感謝)の循環がある社会。
それを模索し実行するのが私たちI-cubeの 〜夢の病院プロジェクト〜 です。

――――――――――――――――――――――――――――――――
◆このメールは自由に転送してください◆
━━━━━━━━━○ Produced by I-cube 〜夢の病院プロジェクト〜 ○━━

2009年01月26日

医療は経営を考えてはいけないのか?

医療ビジネスは悪なのか?
ビジネスという言葉を嫌う、誠実な臨床医は多い。上手く話が合わなくて、いつも悩んでいた。
そうしたら、はっとする文章を見つけた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フローレンス・ナイチンゲールWiki:フローレンス・ナイチンゲール

「ボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた」
「マザー・テレサと同様、“構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない”ということを見抜いていた」


やっぱり、そうだ。援助活動に悩んでいたひとたちは、収入にいつも苦しんでいたのだろう。今の時代だからこそ、何かするならビジネスの土俵にのせるべき、というのは飛躍が過ぎるのか。
営み続ける作業が経営。継続しないサービスは利用者にしばしば害。

営み続けることのできる形で、活動したい。

2009年01月11日

医者を集めることが病院収入と直結?

…昔から違和感を持っていた。
どうして医師の数と病院の収入が比例しなくちゃいけないのかな?と。
ほんとに医者がしている仕事ってそんなたいそうなことばっかりなのかなぁ、と。
コメディカルもたくさんいて医者にはカケラもできない仕事がたくさん病院には
あるのに、どうしてそれらは収入にならないのかなぁ、と。
昔の医師のギルドがつくりあげた医者に医療の全ての権利と収入が集まる構造と
か、その後の政治的な綱引きとか、そういった話をつつくことはぼくは好きでは
ないのですが、本質的なところにかえって、きちんと病院が成し遂げている仕事
の分、病院に収入は入らなければいけない。そのバランスが壊れているから、施
設・投資あたりの医者の比率が高い診療所は儲かり、それらに対する医者の割合
が少ない病院は儲からない。勤務医は周りのスタッフの収入のために働くような
構造ができてしまう(医者の仕事の収入を切り取り、医者だけに振り分ければ勤
務医の給料は跳ね上がる)。だから医者は開業する。

「先生、開業したほうがいいよ」

と、まじめな先生にほどまわりのまじめな気立てのいい職員はアドバイスする。
まじめな先生ほど報われていないと、病院職員たちが思っているから。
にも関わらず、医療界の外のひとたちは、

「開業するなんてけしからん! 責任放棄だ! 儲け成金手技だ!
 開業なんてできなくしてしまえ」

とこぶしを突き上げる。
その差は何なのか。

開業医を減らす圧力をかけるのではなく、病院がしている仕事の分、病院が抱え
ている職員の分、病院に収入が入るようにしなければいけない。病院の仕事の量
は、医者の質・量ではなく、職員全体の質・量で決まるのだから。
医者以外の職員にも感謝をもって診療報酬を振り分けないと、今のいびつな診療
報酬構造は変えないと、苦しい医療は続くだろう。

「おかげさまで」

最近親しくさせていただくようになった、近所の宿の80歳の女将さんのところで、ときどきおふろを貸していただいたり、ごはんをご馳走になったりしつついろいろお話をきかせていただいています。その中で、印象にとてものこったことばがありました。

宿にくるお客さんの今と昔をくらべて、
「おかげさまで、が少なくなった」
と表現されていた。

…病院で診療させていただいて、こちらが元気をいただく患者さんがいる。
こちらからの「(病気が)大変ですね...」と、
患者さんからの「(忙しさが)大変ですね...」と、お互いの相手への気持ちを交換できるとき、なのかなと思っています。

気持ちいい社会の基本は、そんな「おかげさまで」なのだろうなと思うのです。そしてきっと、日本のいろいろな場所でその「おかげさまで」がなくなってきている。そして、お金を払っている客なのだ、と権利をひっぱりだし義務を押し付ける。

もちろん、「おかげさまで」がないのは医療者の側だって同じなのだろう。医者が、患者を人間としてではなく病気としてみる、というのはだいぶ前から言われること。医者がヒエラルキーの頂点であぐらをかき「お医者様」としているうちに、人間として見てもらえなくなったのは自然の成り行きとも思う。


アメリカで医者をしている日本人のことばで時々見るのが、
「アメリカには、医者も人間だよね、というのがある。日本では医者は人間である前に医者だから」
ということば。
離島で僻地医療がしたい、と夢を持って離島に行って、ストレス等で心身ボロボロになり人生狂う医者がいるのは事実で。そんなにおいを感じるし、そもそも村の若者が離れるくらい生活の場として魅力がない僻地に医者が行かないのを、医者のモラルが足りない、と義務を押し付けるのは、ひとの心が動くわけがない。
権利や義務でひとのこころをしばれるとは思えない。

「おかげさまで」
今年一年、たいせつにしたい言葉です。

2008年09月23日

「扶氏医戒之略」

今日も一日、世間が休日だからこその(汗)救急外来をやっていて、先ほど家に
帰ってきた小池宙です。ひさびさに気晴らしの文章を書いてみます。

日々に精一杯になっていると、ついつい、医療ってなんだったのか忘れてしまう
という感覚を、自分は持つことがあります。
そこでふと、今日は「扶氏医戒之略」を引っ張り出して読んでみました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/mekata-h/ikainoryaku.html

これは緒方洪庵が、扶氏(フーフェランド、ベルリン大学教授、1764-1836)が
書いた医者としての戒めを、12か条に門人に向けてまとめたものです。
ときどきこういった文章を眺めると、自分は落ち着きます。


…でも、思うのです。一行目の、

「人の為に生活して己の為に生活せざるを医業の本体とす。
安逸を思わず名利を顧みず唯おのれをすてて人を救わんことを希ふべし。
人の生命を保全し人の疾病を複冶し人の患苦を寛解するの外他事あるもの
にあらず」

の中の

『己の為に生活せざるを医業の本体とす』

だけを切り取って医療者に要求されることをしばしば感じます。
人間としてこんな生活がしたい、と医療者が要求するのは、職業人としての意識
が低い、ようなプレッシャーを感じることがあるのです。例えば、「病院から離
れて開業するなんてけしからん!」と勝手なマスコミが主張することはよくある
と思います。

医療者たちが人間として趣味を楽しんだり、家庭を持ったりすることは、医療を
回す上で医療の消費者たちには非効率的なことなのでしょうけれど、でもそれが
なければ医療者は燃え尽きる。医療ができる医療者たちの精神を再生産できなけ
れば、医療は再生産できず、運営できなくなる。
太平洋戦争の日本軍がごとく、そこで働く人間の再生産の必要性を無視して、精
神論で押し切ろうという戦略性の無さと、押し切れるという読みの浅さが、今の
日本の「医療崩壊」「立ち去り型サボタージュ」につながっているんだよなぁ、
と感じたりします。


医療の本質って、人間の再生産、だと自分は思うのです。
それは、そこで働き生きる人たちの再生産も含んでいると、自分は思います。

2008年08月06日

ペットと入院と

「ペットの持ち込みを推奨する高齢者介護施設が増加」

---
ふと目にとまったので紹介させていただきます。

動物好きな自分はペットのない生活が耐え難く、今も寮でハムスターを飼ってい
たりします。やっぱり動物はいいです(^^)。病院でもペット持ち込み…としたい
ところですが感染制御の観点からは不可能なので、寂しいです…


ついでに。
病院に入院すると安心、という患者さんは多いけれど、東洋医学もやる医者をやっ
ていると違和感を感じます。入院していると、元気がなくなってくるんですよね…。
やっぱり自宅ではない場所は人間を消耗させます。相部屋もストレスがたまりま
すし…。

入院患者さんが退院されたあとに在宅で診る事があるんですけれど(佐久病院な
らではのシステムで、病院医師が往診もするので、気になる患者はその後も診る
ことができるんです)、家にかえるとやっぱり表情が明るい。のびのびしている。
もちろん、介護されるご家族の大きな援助があるからでしょうけれども。

入院していれば医師看護師の目は近いけれど、どうしたって院内感染はあるし、
実は体を治すのは患者の治癒力ですし、入院していれば体力消耗するし…。病気
は治しても元気はなくなる、というのはふつうにあることで。長期入院は体に毒
です。入院していれば、元気になるのだ、という前提は、変えたいな…と思うこ
とがあります。

2008年04月02日

記事: コンビニ受診控えませんか・母親らが運動、小児科守る

「コンビニ受診控えませんか
 母親らが運動、小児科守る
 夜間、休日の急患減少」

http://kk.kyodo.co.jp/iryo/news/080401syoni.html
共同通信 最新医療情報 (2008/04/01)

 休日や夜間に、軽症でも病院の救急外来に飛び込む「コンビニ受診」を控えま
しょう―。こう呼び掛けた兵庫県丹波市の母親たちの運動が、崩壊寸前の地域医
療を救った。行政や医師任せでなく、住民が参加した活動は、医療再生の手掛か
りになると医療関係者の注目を集めている。

・・・・


興味深いです。
若い母親が子育ての経験がないのはあたりまえで、そして親から子への知識の伝
達がなくなった今、そして「わからないことは自分で考えるのではなくて専門家
に聞いとけばいい」な現代、小児科がコンビニ化を経て崩壊するのは必然でした。
そこに自発的な母親たちからの運動で地域医療が回復するというのは希望あふれる
現象と感じます。

医療崩壊のきっかけのひとつに、
自我に目覚め思春期的反抗期を終えた患者さんたち、という構造があったと思いま
すが、それを終えて自分の足で歩いてくださる未来が近づいてきているのかな?と
ちょっとうれしくなる記事でした。

2008年03月20日

記事「患者の絶望を叶える」

『週刊医学界新聞』2772 号
〔連載〕 名郷直樹の研修センター長日記 (50)  患者の絶望を叶える  
http://210.139.254.43/cl/JuU/MsT/eT/6Lh3c/


名郷直樹先生の週刊医学界新聞での連載、今回も面白かったので紹介してみます。

話は外来。検査をしてくれ、と外来に来る患者の話。大丈夫だから、といっても
通用はしない。

(以下抜粋)
『結局そうなるんだから,患者の希望をさっさと叶えて,CTを撮ってしまえばい
いのだ。確かにそうだ。それも一理ある。で,実際そうなる。そのほうが数こな
せるし,病院も収入になる。そこで別の研修医のまた別の患者。 』

『またか,そういう感じである。そんな患者に,ただ心配ないといっても納得し
ない。医者より検査のほうが信頼できる。そういう信念がある。』

『保険を使うということは3割負担だ。それを多いと見る向きもあるが,これは
普通の買い物からしたら恐ろしく安い。常に7割引で検査を買えるのだ。少しで
も健康に不安があれば,次の検査を買いたくなるに決まっている。』


外来とかでつくづく、力が抜けることがあります。
検査をしてくれ、という患者。
検査するまでもなく重い病気である可能性が低い人の検査を、なんで保険でやら
なきゃならないのか。健康診断うければ10割負担なのに、ちょっと健康について
不安を持って病院にいけば、頭のてっぺんからつま先まで、7割引で検査を受け
られる。そして、受けさせなきゃいけない。今の世の中、訴訟やら医療過誤やら
の怖いから、訴えがあれば、病気じゃないと思いつつも病院側も防衛のために検
査をしなきゃいけない。でも、無駄な検査をすればするほど、ほんとうに必要な
ひとへの検査がやりにくくなる。

検査をしても、ほんとうは安心なんかできない。
何か異常があることをみつける検査は難しくはないけれど、異常がないと断言す
る検査なんてあんまりないのだから。値段の高い検査ほど、そんな傾向があった
りします。
まさしく、異常があることをみつける、「絶望を叶える」ための検査が、値段の
高い、患者が好む、信用できると思っているけれど実は信用できない、検査。

また違う視点で書けば、だいじょうぶですよ、というプロの医者の言葉は今時の
都会の患者さんたちは信用しないから、検査を好む、ともいえる。人より機械が
信用できる。機械より人は信用ならない。結局のところ信じちゃいない。そんな
感情を感じ取って、医療者側もやる気をなくす。

そんな医者の気持ちを医療者じゃないひとたちにぜひ読んでみてもらいたいな…
と思った文章だったので、紹介してみました。

2008年03月19日

記事「容体安定の患者に転院求めトラブルも 救命救急センター」

関西asahi
『容体安定の患者に転院求めトラブルも 救命救急センター』

ちょっと古い記事ですけれど。

ここしばらくERで仕事していますけれど、救急科の医師たちのとても重要な仕事っ
て何かといえば、【転院交渉】。
これがとてもとても気力を蝕む仕事なんです…。だって、ベッドがあかないと、
毎晩発生する救命救急治療が必要な患者を救うことができないから。

でも今時どこの病院もベッドなんていっぱいで。患者さんの都合も考えながらい
くつも電話して頭下げて、それでもなかなか転院先なんて見つからなくって。
だいたい、救急のベッドはよくめがとどいているし、看護も厚い。外に出たらもっ
と看護のレベルは落ちることも多い。救急病院みたいに新しい機械はおいていな
いことも多い。検査とか看護とかで質の落ちる外病院に行くことを嫌がったり、
そんな処置をする救急科医師に不満を持ったりする患者もいるなと感じます。
(そもそもは不要だから余計なコストを全ての病院が背負うべきではないのが日
本の保険財政のためであり患者のためであり日本の未来のためである、というの
は患者の理解は得られるはずもない理屈で…)。

「つらい仕事が嫌だからと開業医として逃げ出すモラルのない医者たちがいるか
ら日本の医療が崩壊するんだ」なんて好き勝手なことをTVでしゃべっている不勉
強な知識人がいたりしますけれど、まあ、いろいろな無知が重なって、無茶を現
場が背負わざるを得なくなっているのを、もうちょっと知識人たちぐらい理解し
てほしいなと思ったりします。

時間を選んでくれない産科医療に最近光があたってきましたが、
より時間を選んでくれない救急科医療にも、もっと光をあててほしいなと感じま
す。


(以下転載)
2008年02月25日

 生命の危機に陥った救急患者を一人でも多く受け入れるため、救命救急センター
が空きベッドの確保に躍起になっている。比較的症状の軽い患者も押し寄せた結
果、満床状態が慢性化。救急隊の搬送要請を断る理由の一つになっている。入院
患者を院内の各診療科やほかの病院に移すのも救急医の仕事だが、転院を望まな
い患者や家族とのトラブルは尽きない。国の医療費抑制で病床数が減らされる中、
「綱渡り」のやりくりが続く。
   
    ◇

 朝9時、2〜3人の医師がカルテを片手にタウンページをめくり、おもむろに
電話をかけ始めた。大阪市立総合医療センター(同市都島区)に併設された救命
救急センターのいつもの光景だ。満床で重篤患者の受け入れが不能になる事態を
避けようと、入院患者の転院先をひたすら探す。

 患者の自宅近くに移ってもらうのが理想だが、つてがない。「電話帳で上から
順にかけるのが手っ取り早い」。週末はほかの病院が休みで交渉が難しいため、
毎週金曜日は最低でも10床は空けておきたい。大半は数回の電話で受け入れ先
が見つかるが、入院が長引きそうな高齢者は苦労する。

 全国の医療機関の病床数は96年の191万床から06年は179万床に減少。
一方、救急搬送される患者は324万人から489万人に急増した。厚生労働省
は「地域の病院との役割分担や院内の連携を深め、空床を確保してほしい」と呼
びかけるが、現実は厳しい。

 「冬場は特に病床の確保が難しい」。高度救命救急センターに指定されている
兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)の小沢修一センター長は嘆く。寒くな
ると、脳血管障害や心筋梗塞(こうそく)、火災による重度熱傷などの患者が増
加。午前中に転院させた患者のベッドに午後、急患を運ぶ。病床稼働率は100
%超だ。

 救急病院が減る阪神地区や姫路市周辺からの搬送例も目立つ。「それぞれの地
域内で急患を引き受ける体制を再構築してもらわないと、こちらがパンクしてし
まう」

    ◇

 この年末年始、奈良県立医科大付属病院(橿原市)の高度救命救急センターで
は、集中治療室(ICU)と救急治療室を合わせた30床の患者がほとんど入れ
替わった。

 特にICUは常に2〜3床を確保しておく必要がある。このため、入院患者の
家族の同意をあらかじめ取っておき、深夜に救急搬送があれば、患者が横たわる
ベッドごと別の部屋へ移す。救急医は「事前に了解を取らないとトラブルになる」。

 軽症患者まで幅広く受け入れる神戸市立中央市民病院の救命救急センター(同
市中央区)。ベッド確保のため、各診療科の病棟を見回るのが佐藤慎一救急部長
の日課だ。

 入院する救急患者は1日平均18人。救急用の30床はすぐに埋まり、2日ほ
どで一般病棟に移ってもらう。各科の協力が不可欠だが、がんなどの手術も多く、
退院や転院が追いつかない。やむを得ず、救急患者に外来用のベッドで「待機」
してもらうこともある。

 容体が安定した患者に「手術を待っている人がいる」と転院を促しても、なか
なか納得が得られない。「こんなに早く放り出すのか」「なぜ最後まで診てくれ
ない」。病室に非難の声が飛ぶ。

 佐藤部長は強調する。「病院全体で救急用ベッドを探しているが、ぎりぎりの
状態だ。緊急性のない救急病院の利用で、ほかの患者が犠牲になることを知って
ほしい」

2008年03月14日

AIDS 帰国支援

自分がこの4月から所属する、佐久総合病院 総合診療科の高山義浩先生があるMLに投稿
されていた内容を、許可をいただき転送します。


    ………………………………………………………………………

 先週末、タイに行ってきました。未明に着いて1日活動し、翌朝に離陸とい
う忙しいスケジュールでしたが、エイズ発症患者を安全に航空搬送し、現地の
医療につなげるという任務は果たせました。私の働く佐久総合病院では年に一
人ぐらいのペースでこうした帰国支援症例が発生しています。

 以下、患者個人の特定がなされないように配慮していますが、「たらい回し」
になりかけた自らの経験をもとに、今後の外国人診療の拡充を期待される御本
人の御意向もあり、事実関係の改変なく紹介したいと思います。

 今回帰国させたのは、長野県内でセックスワーカーとして働いていた20代
の女性でした。スナックを訪れる客が希望すれば連れ出されます。休憩で2万
5千円、宿泊で3万5千円。そのうち1万円を店がとり、残金は彼女の借金が
減額される仕組みです。手配師により日本へ連れてこられる前に、彼女には死
んだ父親の借金がありました。私生児の2歳の男の子もいます。480万円で
身売りすることを自ら決意し、老いた母親に子供をゆだねたのです。これ以上、
借金を世代を越えた問題にしたくなかったのです。

 2年間、死に物狂いで働いたと彼女は話します。当然ビザは切れ、パスポー
トも無効になっています。摘発されるまでの勝負ともいえます。前述のように
セックスワークの報酬は手元に残りませんから、スナックでの日当3千円が彼
女の生活費です。しかし、住居費と食費と称して店は月額6万円を請求しまし
た。よって、手元に残るのは月に2万円余。彼女はほとんど手をつけず、養育
費の足しにと母親に仕送りをしていたということです。

 昨年の春頃から異変を感じていました。よく風邪をひき、下痢が長引くので
す。仕事をするのが辛かったですが、日本語のカラオケもひと通り覚えて、馴
染みの客もついてきました。まだ借金は200万円残っています。勝負はこれ
からです。しかし12月、突然、右手が動かなくなりました。整形外科医を受
診したところ、寝る姿勢が悪く末梢神経の圧迫によるものと診断され、ビタミ
ン剤を処方されました。下旬になると右足を引きずるようになりました。整形
外科医はビタミン剤を追加処方しました。ところが鍼灸師を受診したところ、
これは脳の病変だから画像診断を受けたほうがよいとアドバイスされました。

 近隣の総合病院でCT検査を受けたのが12月末。多発性脳病変を認め、H
IV抗体検査陽性。「すぐに帰国して治療を受けなさい」と診断した医師に言
われました。さらに「それまでに何かあったら別の病院に行きなさい」と言わ
れ、紹介状を手渡されました。

 そして日本は正月休みを迎えたのです。パスポートもビザも失効している彼
女に打つ手はありません。不安と戦いながらアパートでじっとしていました。
左の手足は完全に動きを失いました。嘔吐と頭痛。本当に久しぶりに4歳にな
る息子に電話をかけました。「ずっと帰れないかもしれないけど。お母さん元
気だからね。勉強いっぱいするのよ」と、最後の会話と彼女は覚悟していまし
た。

 正月が明け、訪ねてきた友人により意識朦朧としているところを発見されま
す。友人は車をとばして都内の入国管理局とタイ大使館に連れてゆきました。
しかし、どちらも「こんな状態で帰国できるはずがない。地元で治療してから
にしなさい」とのこと。東京からの帰路において、ついに意識不明、呼吸状態
も不穏となりました。大使館にあらためて友人が対応を求めたところ、当院に
問い合わせあり、受け入れ決定ということになりました。

 緊急で撮影したMRIをみて、私は慄然としました。多発する脳病変は大き
いもので5cm大。脳幹は圧排され、髄膜炎も伴っていました。脳外科と相談
してオペを施行し、最大のものについて生検目的を兼ねて隔出していただきま
した。生検結果はトキソプラズマ。その後、特異的治療に徹底した全身管理、
廃用防止リハを継続したところ、20代という若さにも助けられて徐々に回復
しました。そして2ヶ月が経過し、彼女の意識は完全に回復し、普通の食事が
可能なほど全身状態も良好となりました。ただし、残念ながら左半身の麻痺は
固定してしまいました。再度撮影したMRIでは、病変が圧迫していたからで
しょうか、脳梗塞を起こしていたことを示していました。

 急性期を脱したいまは、帰国すべき段階と判断しました。正直なところ、す
でに500万円を越えている医療費も当院にとっては限界といえました。未収
金確実の医療費をこれ以上重ねることは難しい状況です。大使館とNGO
(シェア)と密な連絡を開始し、2月中旬の帰国日程を確定。現地の医療機関
とケースワーカー、地元NGOの紹介をいただきました。予測されたことでし
たが、搬送するタイ航空は医師同行を条件としました。ただし、6席を潰して
ストレッチャー搬送とすることに合意してくれました。

 成田空港への道すがら、彼女は静かに信州、上州と移り変わる冬の日本を眺
めていました。どこかに観光に行ったことはあるかと聞くと、何もみることは
なかったと。日本はつらい思い出の国になっちゃった。がんばったんだけど
な・・・。お客さんはイヤだった? ううん、優しい人が多かったよ。コン
ドームを使ってと頼むと「俺を病気扱いするのか! お前の方がよっぽど汚い
くせに」と罵倒されてつらかった。それぐらい。だから、コンドームのことが
怖くて言えなくなっていった。借金返さなきゃいけなかったから、仕方なかっ
たのよ。

 成田空港の出発ゲートまで車イスの彼女を押して歩くのは、たしかに奇妙な
ことでした。荷物もなく、ジャージ姿の半身麻痺の女性。両側ではきらびやか
なブランド商品と買い求める同世代の女性たち・・・。洗練された無臭の搾取
の情景。これが世界の日常なのです。

 出発ゲートの隅に車イスを寄せると彼女はシクシクと泣き出しました。座位
が長すぎたかと思い、どこか痛むのかと私は聞きました。すると彼女は、子供
におみやげひとつも買ってやれないのがつらいと言いました。少し私は考え込
みました。チョコレートでも買ってきてあげた方がいいのかな・・・と。しか
し、搾取の現実に刹那の橋をかけたとして、それが何になると言うのでしょう。

 おみやげは君自身だ。君の不自由な体だ。君が不自由な体をかかえながらも、
強く明るく生きてみせれば、君の子供にとって最高のプレゼントになる。強い
子がきっと育つ。がんばりなさい。

 彼女は何も言わず、窓にひろがる薄曇の空を見上げていました。それは、越
えてゆくにはあまりに濃密な2月の空でした。

    ………………………………………………………………………


せっかくなので高山先生の著作も、紹介させていただきます。

アジアスケッチ 目撃される文明
ホワイトボックス 病院医療の現場から


(以下、小池の私見です)

Internationalってなんなのか、ときどき考え込みます。
日本を引きずって外国に身を置いて英語を話したりすることをInternationalと
いっているひとたちってけっこう多い気がしますが、そんなんじゃないんじゃな
いかと考えたりします。

文化とか、民族とか、言語とか、歴史とか。
そういったものをこえて生きるってことを共有する、ヒリヒリするような
Internationalが本来大切なものだと感じます。それって別に、国境をこえなく
ても、外国語をしゃべらなくってもいいことで。
日本国内すぐそこかしこにちらばるいろんなInternationalを無視して、目に見
えやすい、外国・外国語一辺倒では、どこか届かない気がします。

2007年12月06日

「医療への刑事介入が臨床研究を萎縮させている」「医療事故などに関する患者支援法案」

以下、虎ノ門の小松秀樹先生、東大の上昌広先生に転送してほしいといただいた文章を、はりつけます。よければぜひ一読を。

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1) 厚労省・与党試案の問題点
 11/30に自民党案が公表されました。医療現場の反対を受け、一見まもとに見
えますが、官僚に見事に骨抜きにされています。厚労省は「警察に届け出した
くない医療者の意向」を受けて、「厚労省内部に調査権・処分権限を併せ持
つ」第三者機関を作り、医療事故の届け出を義務化しようとしています。組織
は一旦できてしまうと「内部の論理」で動きますから、粛々と行政処分・重過
失・故意の事例を警察に送ると思います。
 ちなみに、大野病院事件、およびその後の厚労省検討会での「厳罰化」が、
既に医学分野の研究に影響している当方の研究成果をお知らせいたします。
下記PDFファイルをご覧ください。

「医療への刑事介入が臨床研究を萎縮させている」
http://flesh.umin.jp/temp/0712ishuku.pdf
「医療事故などに関する患者支援法案」
http://flesh.umin.jp/temp/0712shien.jpg

2) 小松秀樹先生 「日本医師会の大罪」 
http://mric.tanaka.md/2007/11/17/_vol_54.html#more
 11月17日(土)に長崎市で行われた九州医師会で、小松秀樹先生が特別講演を
された内容です。唐澤日本医師会会長、日本医師会理事、九州圏内全ての県医
師会長を前にして、日本医師会執行部へ批判と、現場の医師が立ち上がること
を訴え、講演後、大きな拍手が沸き起こったそうです。この件は、いくつかの
メディアでも紹介され、日本医師会内部からも賛同が出ています(諫早医師会
理事 満岡氏 「勤務医を守れ」 
http://mric.tanaka.md/2007/12/02/vol_57.html#more)

3) ソネットエムスリー: 混迷する"医療事故調"の行方 
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/index.html?pageFrom=m3.com
 橋本佳子編集長が丁寧に解説しています。会員登録をしないとみることがで
きませんが、是非、お奨めです。

4) 日経メディカルオンライン:小松秀樹が語る「日本医師会の大罪」
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/kikou/200711/504813.html

5) 厚労省の「試案」が通れば医療完全崩壊ーまとめサイト
http://ameblo.jp/kempou38/entry-10057470455.html
 このHPに掲載されている議員へのメールの仕方をみて、多くの医療関係者が
地元選出議員に直接メールしました。11/30の自民党部会にもっとも影響した因
子であり、インターネットの登場が医療界のガバナンスを代えつつあります。

(以下、小池個人の意見)
今の医療過誤訴訟はつくづく、「魔女狩り」的だと感じます。
個人が不死になることはありえないし、100%成功する医療もありえない。必ず病
院には不成功や診断不能という理不尽がつきまとう。理不尽に巻き込まれれば、
悲しければ、誰かを恨むことで自己を保る傾向が人間にはあり、そのため医療者
への恨みが社会から完全に消えることはおそらくはない。その恨みを、罰するこ
とで対処しようというのは計画を練っているひとたちの底の浅さを感じます。

今の日本医療をみていると、中世ヨーロッパの暗黒時代を連想してしまいます。
人が自然に逆らえることが今よりはるかに少なかった時代、様々な理不尽が人間
を打ちのめしていました。そしてヨーロッパは、特殊な能力を持って社会に貢献
していた人々を、「魔女」として生贄にし、血なまぐさく目先の感情を表面的に
ごまかしていた。でもその対処は表面的で、結局は特殊能力を失うことで社会の
力は失われていった。

今の日本医療は、それと同じに感じます。


2007年11月21日

思考停止? クリニカルパス?

また、異動後の科・不適合に悩んでいる…
いろいろ考えすぎ、とはわかってはいるのだけれど。

目的に向かってきっちり穴なくリズムよく動かなきゃいけないのに、「なんか変だ」で足踏みして、他医がつけた診断を疑って治療内容整理したくなる気持ちをもつのは、だめなんだろうな…。どこまで動いていいのか、どこからがでしゃばりなのか。分からなくなって、単純なことまで動けなくなったり、単純なことを質問してしまったり、リズムがめちゃくちゃになってくる。でも、ゼロから全てを把握しようとすると、たまに、短時間の外来でしか治療を受けていなかった患者さんたちへの治療に、違和感を感じることがある。
あと異動すると知識ゼロにリセットされるからひどいバカになるから合間見て勉強してはみるけれど、逆に本で読んだこととそこでされてることが違ったり。勉強するほどにくるっていく気がする。
スーパーローテートもしんどい。前の科で常識だった方法が、次の科では「バカ!」といわれたりもする。まあ結局は、そんなふうにずれているものは、どっちでもいいことがほとんどなので、精神的にはダメージ受けつつもまあ勉強になりもするのかもしれないが。

研修医のうちは本を読むな。論文を読むな。
それも一面、真実なのかもしれない。どうしてもそういった意見とは肌が合わないけれども。でも、そうすれば、楽になるのだろうな…。

学び上手。聞き上手。それが何より大切。
自分の足で確かめながら知識を踏みしめてみたい、本と上司がなにか違う、なんて考えるのは、嫌われる道。
しってはいる、けれども。

約束処方、約束検査、にもなかなか慣れないし。
だって、患者はみんな違うから。手術が始まる時間も違うし、それまでされている準備も微妙に違ったりする。
でも、それを考えないでパスにのっけたほうが、結局は労力を無駄にせず、きちんと全力を治療につぎ込めるということはある。些細な違いは眼をつぶっていればいい。無視すればいい。

けれど、些細な違いがほんとうに些細なのか。スタート地点はほんとうに正しいのか。

でも、経験ある他医や上医と違うことを考えても、みんな損するということがほとんどだろう。
へんなこと口にしても、嫌な顔されるだけ。
でも、口にしなくても雰囲気にでちゃうし…。

あああああああ。

スーパーローテートなんて嫌い。

もっと自信をもてばいいのかな。そうしたら鼻につかないのかな。でも、自信ないな…。なんでみんなあんなに自信がもてるんだろう…。

2007年11月14日

記事「軽症なら8400円徴収へ 埼玉医大、時間外救急」

「軽症なら8400円徴収へ 埼玉医大、時間外救急」
http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111201000627.html
(共同通信)

共同通信から興味深い記事がでていました。
ほんとうに、体を削って救急をしているときに、軽傷な患者さんはいろいろな意
味で医療者を消耗させます…


でも。やっぱり分かる気もする…

自分も、住民税をなかなか払えずにいるんですよね。
だって、銀行にいけないんだもの(>_<)
なかなか病院にいけないから夜病院にいく。まあ、そうだよなぁ、と思います。

効率的に働かされるこの世の中、なかなか年に数回しかないような事態に対応す
る時間を作らせてはもらえない。病気になったところで休ませてもらえない現代
社会、夜に病院にいくという行動は、まあ当然でてくるパターンか。

でも、だからといって夜にかかれる病院を増やす、というのはほんとうは安直で
とても非人間的な対策だと感じます。
病気になったら、まず寝込むべき。休むべき。
そんな余力のない世の中で、どんどんひとの体がねじくれていく…。
それに、本来あるべきでない仕事を増やすことで、世の中の限られた医療資源・
医療労働力の正しく使用されなくなり、本来実行できたであろうことが実行でき
なくなる。

夜かかれる病院を増やすなんていう対策は、
「無理が通れば道理が引っ込む」的なものだという正しい?認識がひろまってく
れないものかなぁ…とふと考えることがあります。

まあ、むずかしいでしょうけれども。
ふとそんな気持ちを振り返った記事でした。

2007年11月10日

長谷川先生講演会 医療制度

ずっと前の長谷川先生の講演会のときのノートをここにメモしておく。

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0712 長谷川先生

日医
 経営下手
 2年前、T、TMDが独立行政法人化から、客が減った
  富裕層を狙う順天堂女子医とは違う
  足立区とかの貧乏な層を狙う


順天堂
 冬、患者が少ないから宣伝する
 …はくほうどう

(フロア)
・患者が健診を受けやすくする
・患者の視点に立った
・財政改革
・関わるみんながハッピーに
・バランスを整える
・国民の選択
  …高齢化、技術の進歩
・医療費の伸びを抑制
・人材の適正な配置
・高齢化に伴い

→1)患者中心
 2)コスト
 3)そのバランス

(外国)
ドイツに調査
 …日本と合致

韓国
…アジアでも進んでいる


日本
二年前に政府が狡猾的な改革した
小泉せいけんで少しずつ
→春に、大きく改革
・透明性
・説明責任
・市場原理 競争原理
・民間導入

 …突然の前進!!

橋本の火の玉6大改革の失敗
小泉は、規制改革、ということで分かりやすく


医療制度改革、
1997に提案するもなっかなか進まなかった
…ロビイストが強くサボタージュ
 →小泉ですすんだ
   各省から意思決定を取り上げたから
 
  …橋本までは、各省庁の絡み合いの自民党の輪にいたから進まず
   小泉は自由だった

  高齢者医療制度を作った
  …高齢者の財源に決着ついて、全体が前に進めるようになった
  各関係者の利害の綱引きがあったから
   「天井方式」「トンネル方式」の医師会と市区町村の対立

保険
…1938年、農村の健康がわるかった。軍隊を産出するのに…
  だから、皆保険作った

 でも、いちどつぶれた
 1961年にもう一度作った

 地域と職域をカバーして国民皆保険しているのは、世界で日本と韓国だけ

 …第三世界の憧れ

  実際、福岡に農民がカネを集めて医者を雇っていた、というモデルあり、それを真似して日本全体の皆保険を作った
 が、お金がないひとが地域にいくから、地域の保険は常に破綻する

→61年から83年まで、常に、どう地域保険を救うか、という議論に

→保険
  …リスクの分散 …ビスマルクが考えた
 でも、国保は、リスクをプールできる体力ない。はたして保険か??
  →…保険ではなく税金だ

  税金とリスクプールのmix
 「ダグラス」 カナダのシステムに似ている

⇒83年に、老人保健医療を作った
  大蔵省から厚生省に出向していた役人が、コレしかないと考えた
  「職域から地域を吸い上げて、国保にばらまく」
  10年しかもたない、と初めから思っていた。
  が、25年もった!!
  戦後最長の不況の中、職域も破綻した
   ⇒高齢者医療が、とうとうできた …屋根型、に。

  ふたつの表現がある
   ・日本の老人医療は崩壊した
   ・日本の保険は生き延びた

今、75歳以上の割合は (長谷川統計)
入退院 30% →2025年 50%
外来  25% →    40%

…実は全世界でいろいろな形が進行して、日本1周遅れで走り出した


主要国の改革
オランダとイギリスが早い


…実は、カネを集める保険制度、は、ドイツ周辺しかない
 スペインイタリア北欧は、税金入れる社会保障型
 東欧以東は、国営

 税金つぎ込むのは、ビベレッジシステムという
   第二次大戦中に、戦後のイギリス社会保険制度の絵を描いた貴族
   「ゆりかごから墓場まで」
 …最初は、社会保険制だった。
   …結局集まらなくて、税制度に変えた


南欧
 もともと社会保険制度だった
 でも、イギリス学者(エーベル・スミス)がまわって、税金がいいよ、と言った
 80年代くらい?

オランダ、1987に、何故動き出したのか?
  1000万人くらいで小さく、動きやすい
  周りの国はいつも、オランダが成功したら後を追う
 デッカープラン 介護保険
 介護の競争原理・自由選択を導入

イギリス 1989 執行されたのが 1991
   病院が、国営からいっきに独立行政法人に

  マネージャーは三種類
   企業経営者、NPO、官僚
    …NPOのみうまくいった

 NHS
  入院医療費を開業医に買わせた
  …医療者が不必要な医療はしないのではないか、と考えた
  が失敗
  1)イギリスの医者は老人が多くて、計算できず、つかってた
  2)患者が選択できなかった
   →破綻

スウェーデン エーデル改革 1992

アメリカ クリントン改革 1993
…ヒラリーが、選挙で選ばれていないけれどしゃしゃり出すぎた
 皆保険に失敗
 →市場経済、マネージドケア、と、市場に走った
言っている事とやっていることが違った
 言っていること「市場原理で適正化する」
 やっていること「患者に診療制限」「バーゲン:医師を買い叩く」
   …いっとき、医師のビジネススクールブームがあったりした

脱線
 「国民が文句いっているいま、マネージドケアが完成しましたよ!」 という話もあったり
  成功している会社は二つ
  ボストンのヘルス…
  テネシーのアメリカンヘルスウェア

…どう成功したのか
日本を例に挙げる:
それまで、各行政が行政的に目標を挙げて健康を維持
 努力するところと努力しないところがあった。首長は責任取らない
 「善意、だから無理」「やっても褒められないし、やらなかったら誰も言わない」
 それがやっと改善したけれど。

で、アメリカ
健康を維持することで、副作用を下げることで、マネージすることで、医療を安くした。ほんとのマネージドケア、ができた。
(国民も医者も怒る、のがはじめにでた)
AIDSとか、いろいろ、下請けに出してコントロールする
喘息とか、非常に有効
で、保険会社が設けられるように!

具体:
病院の中で、糖尿病のコントロールをするノウハウがあった会社
ハイテクで統計する会社を買収
どういったひとがハイリスク、なのかを同定するソフト
どうやって同定するのか、というソフト
を作った
…医者と患者のあいだに看護婦がはいって、コミュニケーションを適切にする
…それをやる看護師がバーンアウトしないようにストレス管理するのが必要

フランス ジュペプラン 1995

ドイツ 第三改革 1997
…ドイツは綺麗に税金の入らない、集めたお金だけの保険がある
  でも、とうとうフランスもドイツも税金入れないとやっていけなくなってきた


●健康変革 (長谷川式) 保険医療システムをめぐる諸改革
 ・財源確保 financing
 ・供給体制 delivery system
 ・政府役割 goverment role


政府
19C 夜警国家 → 20C 福祉国家 → 21C 舵取り国家

さらに地方分権へ
  住民に近いところで意思決定が、重要
  殿上人でいいのか?

イギリス
 ブレアになっておおきくかわった
 地域の医師会にお金を渡して、そこから病院にお金が渡るように

 問題
  税金で働いている職員
  薬は国がまとめて買う
 →「働いてやっている」という職員の意識
  企業努力をしなかった

 で、
 GPが患者に代わって病院を選んであげる、という擬似市場をつくって、失敗


(アメリカの会社が社長が…)
●DMの行動変容

開業医
 お金もなく、時間もなく、ノウハウもない
 だめ
 会社が管理するしかない
  …家に電話するとか、コンスタントに刺激しないといけない

…日本の保険師、行動変容できるのか?
 そもそもノウハウ学ぶ場所はあるのか?

●…ヨーロッパは、もうEUでひとつになった
 が、EUで医療を扱う部署はふたつしかなかった
 免許・薬のところと、ODA
 統合するのは不可能だと思っていた。厚生省がなかった
 →厚生省がとうとうできることに!
  感染症  …「CDC」
    …順次作っていく、とのこと


●高齢者医療が制限されるのは、あきらか?

ポイントは、財政
金稼がない人間が、カネを使う

●公平性 大きな課題

「足りない」
「ムダがある」
両方正しい

●生活保護

Q. 働いているけれど、生活保護ではないけれど、医療を受けられない逆差別が多い

→日本の保険料未払いは15%??
 生保とのバランスでやっている隠れ未払いを含めると20%?

高額医療費制度で削られているように言われるが、
普段の国民の支払いは医療財源は44%。30%ではない
つぶれる

介護保険
1号(19% →地方が負担)、2号(31% →全国調整に回る)、負担率が違う

…介護保険の点数が上がれば、負担もあがる
→3・4・5しか残らなくなる

●年金
制度設計
出生率1.38で設計しているから、近いうちつぶれる
悲観的な出生率ではじく必要ある


●供給体制

・デマンドサイド
…80年代、70年代からずっとお金についてはやっている
 効率化、民営化、マネジドケア
  …すでにつぶれた
・サプライサイド


●医師偏在 …日本では?

長谷川は医者があまっている、とネットで文句が流れているが
地域・診療科

ものすごく医者があまっている国でも、地域偏在はある
対策は、必要

医師数を増やしたところで偏在は続く


これまでの需給検討委員会
 長谷川は、「長期的にどうか」を求められていった
 いってみたら…
集めたメンバー
 は、「医者が足りない」という話ばかり

小児科・産婦人科
 全体の5%
 1万二千が足りない、という推計を長谷川は出した
 …将来のことは自信はないけれど

ただ、
今の病院医師不足を解決する方法は3つしかない

1)外国から医者呼ぶ
2)看護婦を医者にする
3)今の病院の生産を高める

…日本の退院者数は、EUの半分
 伝票書かせたり、ICで時間使ったり、外来見ていたり、看護師が圧倒的に少なかったり。
 院内の様々な見直しで生産を高めることが、今目の前の対策。


看護婦走り回っているが、
 看護婦の仕事の40%は免許がいらない

→この間作業観察をしてみた 朝5時から 社会保険中央病院

介護士が患者のケアをするなどして、仕事短縮していた

50床すべてが重症化

ICとか、医者にしてみれば倍の仕事。
今までと違う仕事しないといけないのに、昭和23年の法律で振り回される

ITにすると、あいまいさがなくなって医師にストレス・仕事たまるし

今は平均入院日数が減っているから、どたばたしなければまわせない。余計な仕事が増える。


「自己弁護していると、いろいろ気づく」

…絶対数や平均ではなく、微分するとちらっと見えてくる

滋賀医大
 まったくジッツがない
 行く場所がない
 →病床規制とともに、医者が増えても行く先がない

…80年代の医師は医師過剰感を持っていた
 (長谷川仮説)「それは、行く先がなかったからではないのか?」


…今、医学部が8年生になった
 今の大学教育はろくでもないから、卒業しても使えない
 から研修
 病院の10%の医者を奪い去られた
 →3〜4年後に変わる??

 でも、体力のない病院は、つぶれる


●歯科医師

ひとがふえるから、需要を無理矢理誘発させている
私費の部分を、延ばしている
「口説く」レベル
 「戦略的抜歯」


国際的には、
90年代をこえて、医師過剰論から医師不足論に変化
安全論、などからであろう

●「究極の自己弁護」
神の手 を果たせなかった

団塊世代は、医師の奉仕的な精神で労働できた
が、今の世代はQOLを求める

偏在。
本丸は、外科ではないか
 外科系、日本で34%

…今回の研修医制度
  ぐるっとまわると、どこが3Kか、分かってしまう
  →選択されないもの

  選択
 ・給料上げる? →ムリ
   何の魅力もない

…でも、最近の若い人は
 「給料あがってもいきたくない」

でも、アメリカも一歩先いっていたのに、QOL改善したら回復してきた
 …まあ、アメリカは我慢すれば高収入がまっているから

・シフト制入れるしかない
 →主治医制が崩壊 国民に納得してもらわないといけない


2007年11月07日

「医者やめたい病  〜認知行動療法の提案」

実はちまたにたくさん患者はいるのに
負け犬、な白い眼があるがゆえに社会の闇に隠れている
「医者やめたい病」
ですが、命名者のマッシー池田が文章をHPにかいていました。

いつものようにおもしろい〜(^^)

医者を辞めずに済む方法
医者やめたい病のあなたのための認知行動療法

http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/yametaichiryo.html

おまけで。
「だから偏差値じゃなくて医者になりたい生徒が医者になるべきだ!」論がありますが、それはおそらく見当違い。そういったひとたちは変身願望・救世主願望も持っているもの。もちろん、持っていていいのですが、そういったひとたちがなれない自分にどうしても届けないとき、「認知の歪み」にはまり込み、医者やめたい病にかかりやすい気がします…。

中庸。
含蓄のある言葉です。

上手に適度にいかないと、いけないのですよねぇ。

ふぅ…

2007年09月21日

李啓充氏、福島県大野病院事件について書く

「李啓充氏、福島県大野病院事件について書く」

『アメリカ医療の光と影』の李啓充氏が福島県大野病院事件について今週の週刊医学界新聞に書いていたのが気になったので紹介させていただきます。

 5.〔連載〕続・アメリカ医療の光と影(112)(李啓充)
 「殺人犯? それともヒーロー?(2) 」
 http://210.139.254.43/cl/JuU/JqY/dU/6Lh3c/

カトリーナで限界状況の中で献身的に医療をしていた医師が殺人罪に問われたこ
との類似の事件として大野病院事件を取り上げています。

(以下引用)
--------
ニューオーリンズのポウ医師は,カトリーナという大嵐の直後,勇敢にも現場に
踏みとどまったがために殺人罪で逮捕されるという仕打ちを受けたが,いま,医
療「崩壊」が進む日本の医療現場でも類似の事件が起こっているように思えてな
らない。私がこんなことを危惧するのも,長年の医療費抑制策の弊害で,日本の
医療にも,カトリーナ後のニューオーリンズのように,「人手や物資(日本の場
合は特に人手)が著しく制限された状況」が広がりつつあるからである。

(中略)

特に,日本の診療科の中でも医師不足が一番深刻といわれているのが産科である
が,バックアップ体制が十全とはいえない地方病院の産科で一人科長を担当する
ような状況は,カトリーナ後のニューオーリンズに踏みとどまるのと変わらない
ほど,勇敢かつ献身的な行為と言っても言い過ぎではないだろう。いま,東北地
方のある病院で一人科長をしていた産科医師が,術中死亡例の刑事責任を問われ
て公判中というが,ポウ医師と同じく,過酷な状況にもかかわらず勇敢に踏みと
どまって献身的に働いたが故に犯罪に問われることになったのだから,これほど,
日本の医療者の「士気」を損なう仕打ちもないだろう。日本の司直担当者に,
(法律についても医療についても素人である)オーリンズ郡大陪審の陪審員ほど
の理性と常識が備わっていたならば,起訴はもとより,逮捕にもいたるはずのな
かった事例ではなかったろうか

「手術で患者が死んだら医師の両手を切り落とせ」と定めたのは,紀元前18世紀
に制定されたハムラビ法典だった。「手術で患者が死んだら医師の刑事責任を問
え」という発想は,4000年前のバビロン王朝と何も変わらないのだが……。

--------------

こちらのブログにある公判記録も合わせて読むとなかなか分かりやすいです。

 ロハス・メディカルブログ
 「福島県立大野病院事件第七回公判(1)」
 http://lohasmedical.jp/blog/2007/08/post_824.php


まあ、とある場所での検察のひとの話ですが、

・このタイミングは精神的な揺さぶりというよりは警察の年度末の異動時期にあ
わせただけか?
・こんな事件は普通は逮捕しない
・捜査するにしても在宅調査が普通
・奥さんが出産間近ならなおさら
・この捜査陣は何も考えていないのでは?

というような側面もあるようです。
このような事件で、医療者はいつも身内をかばう、といわれるなどなど、無益な
恨みの応酬があり、みんなが疲弊し、この産婦人科医が救えるはずだった多くの
ひとが救われなくなるなどの無益な悪循環は何とかなくなればいいなと若手とし
ては感じます…。
医療の救命救急という側面と、不老不死の追求(若く健康な人間も不死ではない
のに)という側面との区別ができないがゆえに、死の悲しみからの逃避のために
医者を生贄にする非生産的な儀式は、結局社会を後退させると思うのですが…。

2007年09月04日

記事: 「患者のために」自由診療に挑む

ふと興味深い記事を見つけました。

朝日新聞 2007年09月03日
「患者のために」自由診療に挑む
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000000709030001

…保険の外側にある鍼灸や整体とかの代替医療を使うひとたちの性質とか実際に
動いているお金とかぼくはよく気になります。調べる余力ないけれど…(T-T)

財布からその場で出る医療費が3割になる、保険。7割引きで提供される、医療。
市場原理で価格は決まらないけれど、代わりに政治レベルでの力関係で価格が決
められる保険。
そんな保険はほんとうのところはどこまで必要とされているのか。
お金がなくったって、必要だからと保険の外側の医療にお金を払い、実際治って
いるひとたちをみていると、時々考え込みます。


まぁでも、養生訓で貝原益軒も下のように書いていますが、西洋医薬どころか鍼
灸でさえもあんまりやらずにすむような生活が、ほんとは正しいんですよね…。
なかなかできませんけれど…

http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yojokun/index.htm
(115)凡(およそ)薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。飲食・色慾を慎
しみ、起臥を時にして(:規則正しく)、養生をよくすれば病なし。腹中の痞満(ひ
まん:腹がつかえてはること)して食気つかゆる人も、朝夕歩行し身を労動して、
久坐・久臥を禁ぜば、薬と針灸とを用ひずして、痞塞(ひさい:腹がつかえて通じ
がないこと)のうれひなかるべし。是上策とす。薬は皆気の偏なり。参ぎ(115)(
じんぎ:薬用人参)・朮甘(じゅつかん)の上薬といへども、其病に応ぜざれば害あ
り。況(いわんや)中・下の薬は元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉ありて補なし。病
に応ぜざれば元気をへらす。灸もその病に応ぜざるに妄に灸すれば、元気をへら
し気を上す。薬と針灸と、損益ある事かくのごとし。やむ事を得ざるに非ずんば、
鍼・灸・薬を用ゆべからず。只、保生の術を頼むべし。

2007年07月16日

大学研修と、「骨格」と

今、「落ち目」な大学病院な研修をしていて感じる。

大学病院の研修、少なくとも内科は、悪くない。と。
(外科系は回っていないので自分にはわかりません…)

もちろん、大学病院には、糞食らえ、な仕事が研修医には山ほどある。
昔のスポ根であったような科学的根拠まるでなく分析してみたら結局は体をいじ
め壊す手段でしかなかったうさぎ跳びに似た体育会系的しごきがごとく、くだら
ない指示書書きをはじめとした病院の不条理が研修医に集積し、仕事量はとても
多い…。そして、振り返ってみると、その一日で達成した仕事量は市中病院で達
成できるものと比較しとても少ないことに虚脱する日々が続く。おかげで本や論
文読む暇なかなかつくれない。論文の山がそこにあるのに、手を伸ばせない悔し
さが募るのが大学研修で…。
その上、給料は安い…
ほんとうに、体育会的不条理が、研修医に集まる。

なんだけれど。

自分の個人的な、小さな経験でしかないけれど、大学病院は(少なくとも都会の
大学病院は)ほかの病院とは桁違いのプレッシャーに「晒される」。

研修医は毎週の教授回診とか毎日の指導医の回診での要求されるプレゼンテーショ
とかに晒され、叩かれ、打ちのめされる。上からの突っ込みに悔しさを感じると
きはしょっちゅうある。患者のため、ではなく、回診のため、に自分が病院にい
る時間の多くを使っているところは、正直なところある…。
大学病院自体も、普通の病院とは桁違いのプレッシャーに晒され、医療過誤訴訟
対策とか個人情報保護とか、現場の人間としては非常にうっとおしかったりする。
ほんとうに、いろいろ、心の底から、うざったい…。もっともっと大切なものあ
るだろうに…と感じながらも要求されるからしょうがないなとこなしたりもする。

なのだけれど。

晒されてこそ、そして晒されながら上級医に導かれてこそ身につく「型」「骨格」
を感じる。基礎医学がそばにあるからこそ身近になる「型」「骨格」が、医者を
する上で大切なものになる気もする。
症例数、と言われる。
市中病院では、量、どれだけの症例に触れることができたか、どれだけの症例を
改善できたか、が重要視される気がする。でも、それだけでいいのかな?

週一回の教授回診での口頭でのプレゼンテーションとか、
背景を含めた論文の精読を要求される抄読会とか、
準備にとても労力が必要で、時にいろいろダメージを受け、時にいろいろひっく
り返される(汗)、他の業界のひとにはおそらくは前時代的と切って捨てられる
仕組みの奥に、たいせつな何かがある気がします。

研修医にとって大切なのは、
すぐに臨床現場に役に立つ強い武器とか必殺技とかをいくつ身につけられるかではなくて、
自分のからだの中央に、すきっと強く永続的に存在する骨格をいかに身につけられるかだと思う。
それはつまりは、academicを身につけることだと思う。


もちろん、今の大学病院研修はいろいろなところがだめだめで…。それは事実と
してあって…。でも、そんな大学病院の研修もいろいろ味わい深いところがある
ことは、指摘されるべきだと思う。

…ほんとに、大学病院が働きやすくなってくれれば、最高なんだけれどなぁ…
無理なのかなぁ…


…最近の株式会社が「自分たちはこのように素晴らしい」と喧伝して株価をあげ
たり、昔からファッションとかで「今度の流行はコレ」と勝手に言うことで市場
を創造したりすることの逆回しで、おそらくはそれで得をするひとたちがいるこ
ともあるから大学はいろいろ叩かれているのではないのかなぁと感じることもあ
りながら…。

まあ、目先の結果が重要視される現代日本の風潮に、今の大学はあわないところ
もまた確かなところではあると思うけれど…

2007年04月30日

医者とMRと

医者って仕事ってなんなのか、製薬会社ってなんなのか、医療で飯をくうってなにを意味しているのか。そんなことを、ときどき考え込む。

研修医一年目のときに、今時珍しい神経梅毒疑いの患者を担当したことがあった。錯乱状態で病歴もまともに取れず、精神科に送っても精神科疾患ではない、とつき返され何とか見つけた診断が、神経梅毒、だった。小さな病院で研修していたので経験のある先生もいなくて、必死になって情報を集めた(結局、神経梅毒である、という証拠はつかめなかったけれど…。できる検査の感度が低いから、肯定も否定もできなかった…。まあ、治った事実はあったけれど)。
そんなとき、某抗生剤の使用方法についてぼくが分からなかったことを病院の薬剤師が製薬会社に聞いてくれたら、その使い方とともに病気についての情報をたくさん送ってくれた。すごく、嬉しかった。

でも、つかった薬はタダみたいな値段で…

ときどき考え込む。
MRさんたちはいろいろ新しい薬を売り込んでくる。古い薬は安いから。新しい薬の方が利益が大きいから。
でも、実は古い薬はとてもいい薬であることが多くて…
新しい薬は副作用が分かっていないだけのこともあって…
なのだけれど、利益をあげなければいけないのが製薬「会社」というもので。

一部の医師は、MRを非常に嫌う。まあ、製薬会社の情報のままに薬を使い、保険を無駄遣いし、副作用を増やし患者を傷つけ、耐性菌を増やし厄介な状況を増やしている医師が多いのは事実で。でも、利益を出さなければ薬を生産し続けることができない、という原罪、は製薬会社から切り離すことはできなくて。

医療で飯をくうってなにを意味しているのか。
そんなことをときどき考え込む。

2007年03月29日

「参観者の批評や助言」での現場の改善は不可能

タミフルのマスコミや市民の対応に頭にきていたところに、いい文章に出会った。
転載OKとのことなので長いけれどまるまる転載してみる。

> [ 学びの共同体 ]
>
> 古山です。
>
>  佐藤学という教育学者がいます。「学びの共同体」の実現を
> 主唱して、各地の公立学校で実践的な活動をしています。聴きあい
> 学び合う関わりを学校の中に作ることを目指しています。
>  『学校の挑戦 ──学びの共同体を作る』 佐藤学 小学館
>
>  この「学びの共同体」でできてくる学校は、しっとりとした感じを
> 持っているのが特徴です。
>  落ちこぼれ、いじめ、不登校などが劇的に少なくなり、学力も
> 上がっていることが報告されています。
>
>  現在、火がついたように広がりはじめ、昨年春で小学校1500校、
> 中学校300校くらいが取り組んでいるそうです。
>  公立学校を改革することは、とても難しいことで、佐藤氏も数多くの
> 失敗を重ねたそうですが、改革のモデルになるような拠点校ができて
> から、急速に取り組みが広がってきています。
>
>  この「学びの共同体」つくりの中核にあるのが、新しいスタイルの
> 校内研修です。
>  教師は教室を閉ざさず、最低年に一回は、公開授業をやる。
>  その公開授業は普段の授業を取り上げる。特別に用意しない。
>  話合いの対象を、「どう教えるべきだったか」ではなく、「こどもが
> どこで学んでいたのか、どこでつまずいていたのか」の事実に置く。
>  参観者は、「授業者への助言」ではなく、自らが学んだことを述べ
> る。
>
>  このような公開授業を100回くらい積み重ねると、学校が
> 変わってくるというのです。
>
>  従来型の公開授業ですと、参観者が批評したり助言したりします。
> すると参観者が裁判官のような権力者になってしまう。この権力
> 関係が解消されないと、教師どうしの学び合いが起こりません。
>
>  権力関係でない学び合いが教師間に生まれると、急速に学校全体の
> 教育水準が上がってきます。
>
>  先生たちは、つねに問題に直面して苦しんでいる当事者ですから、
> 有効な研修や講習があれば、飛びついてきます。
>
>  ところが、学校の中にいない人たちが教育を指揮すると、現場の
> 困難が「だらしなさ」にしか見えません。そこで、権力関係や賞罰で、
> 動かそうとします。
>  これは、実情にあってないので、学校の人たちはいっそう腐る。
> そこで、ますます権力関係を構築する。
>
>  この悪循環を、日本の学校システムはえんえんと繰り返してきた
> と思います。いままた、教育三法の改正をやろうとしていますが、
> だめになりかけたシステムを、なんとか権力関係と賞罰で動かそう
> とする発想からの改正です。
>
>  どうしたら学校がよくなるかについては、すでにたくさんの
> 提言もありますし、外国のよい実例もいくらでもあります。ところが
> 実行がすごく難しいのです。やってやれないことはない、しかし、
> 日本の学校システムは権限の分散した同士が複雑怪奇にからみ
> 合う構造になっていて、実行が難しいのです。
>
>  ネックになっているのは、日本の教育の実質的命令指揮ラインが
> 長すぎること、法令拘束が多すぎること、教師が行政機構の末端に
> 組み込まれていること、奇怪な人事管理制度があることなど、教育
> 行政の部分にあると見て、その研究をやっています。
>
> *************************
> 【転載・引用を歓迎】
> 古山明男
> *************************

今の医療はまさしくこれだと感じる。
現場に対しては無責任な立場に身を置いている人たち、特にマスコミの立場にいるひとたちが、正義感に基づいて現場責任者の医療従事者を糾弾する。それはこうすればよいのだと、どう実行すればいいのか想像せずに提言する。「だらしなさ」を追求する。無責任な立場にいるからできる、指摘をする。現場の活力はそがれ、権力構造が固定化する。

医療を評価することは専門外のひとたちは難しい。マスコミは専門家でないことをよくあれだけふつうのひとにわかるように報道するよな…とよく思う。
下手に何かを褒めると、不勉強なジャーナリストがわけもわからず見栄えのいいものだけ取り上げて世の中をアンバランスにする、と怒られるのもマスコミだけれど(実際自分もよくそんな怒りをもつけれど…)、でも、やっぱり「いいものを世に知らしめる」ということをジャーナリズムの基本、と定義しなければマスコミが世の中をよりよくすることはできないと思う。糾弾がジャーナリズム、ではないはずだ。
正義感があるジャーナリストこそ、責任感を持ってほしいと思う。現場・未来への責任感と当事者意識のない正義感は、最悪だ…

2007年03月26日

タミフル狂想曲…

タミフルが世間を騒がせている。そんな中、気になっていたことを言葉にしてくれていた記事を見つけた。

「タミフルをほとんど使わないスイス」
http://www.swissinfo.org/jpn/front/detail.html?siteSect=105&sid=7648896&cKey=1174637435000

…日本人って、【治療、何かしなくちゃいけない】【薬、何かつかわなくちゃいけない】という信念が強すぎるなぁ…といつも思います。

タミフルなんて、ふつうのひとに使うと罹病期間はちょっと短くなるけれど使うと症状は逆につらくなる、といういわば熱の出る解熱剤、でしかないわけで。それを、インフルエンザになったらのまなきゃいけない、という思い込みがあったちょっと前というのには(特に母親に…)、日本人はまじめだなぁ、でも上っ面しかみていないなぁ…と感じてしまいます。

誰かに看護られながら休む、というのが治療では根本的に重要なわけで。
それは薬でごまかされるものでは本来ないわけで。
でも、「効率化」された現代、家族が病気になっても誰も休みを取れないから薬でごまかす、子どもが病気になったときに対処方法を家族が知らないから罪悪感もあって薬で何とかしたがる、という社会的な病理があって…。

解熱剤も、脳症とか発生率上げるというし、使うべきではないのですよね…。
でも、「何とかしてあげたい」という気持ちから使用されてしまうし…。

タミフルの安易な使用は、耐性株を増やすということも指摘されないまま世論が
動いているのもとても気になります…。抗生薬や抗ウイルス薬は使用するほど耐性を発生させて使用できない状況をつくる、限りある資源である、という大切な考え方は、本来とても大切だと思うのですが…

さらに加えると、世界の7割のタミフルを使用するなどという、全世界への迷惑をかけながらタミフル信仰を持ち続けた日本の消費者意識という過去はまったく無視して、製薬会社や厚生労働省や研究者に「逆ギレ」する世論って、いくら専門外だとはいえ海外に対して恥ずかしさを感じて勉強していただきたいな…と思うのです…。10代の若者の恋愛感情じゃないのですから…。


…ともあれタミフル。タミフルは使用禁止にしろ、政府・製薬会社・研究者は深く反省しろ、という圧力が今世論を動かしていますけれど、もともと風邪(インフルエンザだけでなく風邪症候群全体)を薬でなんとかしようという文化が根本的に間違えていると思うのです。
重症なインフルエンザ患者や新型インフルエンザが出たときとかは使用しなければいけないタイミングもあるだろうし、意味薄く副作用ある薬の使用はたくさんあるのだから(風邪に抗生剤、体調悪いから点滴、などなど…)、タミフルを使用禁止にする、という局所的な嵐で事件が終るのは、いやだなぁ…、と感じます。


…でもまあ、風邪症候群には西洋医が使うのは苦手な漢方薬がとっても効果的だったりするので、東洋医学もできる医師のところにいくときっちり対処できたりもしますけれど。

感染症の治療中に解熱剤は使うなと教え込まれた研修医、からでした。

2007年01月24日

「医師不足」に思う

知り合いから教えてもらった、旭川医大外科の笹嶋唯博教授の文章を読んで。

日本外科学会雑誌
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00188218_jp.html
第107巻第6号255ページ
http://nels.nii.ac.jp/els/contents_disp.php?id=ART0008036492&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=Z00000003478901&ppv_type=0&lang_sw=&no=1169643349&cp=

内容をまとめると、

・勤務医の労働条件は他の業界と比較し、開業医と比較し、とても悪い
・勤務医は、医者でなくてもできる仕事(外科医が「電動ドライバーで釘を打つ
がごとく」な仕事)に忙殺されている。手術に専念できない
・医療過疎といわれる昨今であるが、地域が選挙の材料に無駄に医師を吸い上げ
ていないか。開業医が無駄に医療費を吸い取っていないか
・そんな状況に医局の医師供給など追いつくわけもない

といったところ。

…白い巨塔、と世間に冷たく糾弾される中で、地域への人材供給という責任を負
わされその仕事に無意味さを感じながらも忙殺される、医学部教授の悲鳴が聞こ
えます。


日本では医者の修行の量が足りないとマスコミには文句を言われますけれど、
たとえばアメリカは日本的に余計な業務がないせいで、
「17時になったら携帯の電源を切る」(日本と逆…)
ようなQOMLが高い生活をしながらも日本より経験を積んだり勉強したりに全力を
つぎ込めると聞きます。

日本は、オールマイティな医者、オールマイティなナースに数々の雑務をさせる
ことで医療費を安くしてきました。それが限界に達しているのに(例:「立ち去
り型サボタージュ」)それに気づかず、患者の状況が限界にきているからと医者
やナースにさらに負担をかける流れ(マスコミ、政策)を感じます。
まあ、今の現状で病院に流れるお金を増やしたところで、医者やナースのすべき
でない仕事をする事務員を増やし管理する経験と視野は今の現場にはないので、
なかなかどうにも手は出しにくいのも事実ですが…

2007年01月20日

Med-NEXUS再開

学生時代から管理していた「Med-NEXUS 〜よりよい医師を目指す医学生のネットワーク〜」を再開してみることにした。
医師・医学生の交流のMLがあたらしく立ち上がるというから、楽してみるかと手を抜いて、運営もやめてみることにしたのだけれど、そっちでは企画の情報は交換しないようなので、それはさびしいなと再開をきめた。まあ、時代の中で役割を終えたと再度感じるまでは、肩の力を抜きつつ運営してみよう。

ともあれ、医師・医学生のかたはぜひ、参加してみてください☆

2006年12月25日

「白い航路」

「白い航路」
を読んでみた。とてもいい本だった。

…この本は、日本で最初の私立単科医科大学の慈恵会医科大学を創立した高木兼寛先生の生涯を小説として書いた本。脚気の予防方法を確立し、日本海軍における脚気死亡者をゼロにしたひととして高木先生のことは以前から知ってはいたがあらためて読んでみて、その人生、感動した。

この本によると高木は、明治維新の前、薩摩(宮崎県)の大工の一人息子として生まれたとのこと。幼いころから学問に対する欲求が強く、理解ある親のもと、厳格な階級制度では通常は侍の子でしか学問ができなかった時代に、家の手伝いをしながらも学問を続けさせてもらう。そして、階級制度に拘束されないで学問をしつづけるために、医学を志し、師にも恵まれ、医学の道に進む。漢方・蘭学にて医学を優秀な成績で修めるも、戦争時に何もできない自分の無力さに打ちのめされ、そこできらびやかな処置・手術を行う順天堂創設者佐藤ら西洋外科医に憧れる。そして、イギリス人のもとで医学を学び、さらにイギリスに留学し医学部を主席で卒業。帰国。しかし、日本の医学は統計・臨床的イギリス医学ではなく、学問的・基礎的ドイツ医学一色に染まっていた…。
統計的手法で海軍から、当時の死の病である脚気を、周囲の無理解の中で奔走して脚気を一掃し海軍医総監としての地位についたり、日本で始めての看護学校を創設したり、貧しいものを無料で治療する東京共立病院(後の慈恵会医科大学附属病院)で力を尽くしたりするも、森鴎外を筆頭とした当時最先端のドイツ・コッホ細菌学者たちが支配する大学医学や陸軍医たちに「医学者ではなく、単なる統
計を重んじるものとして軽蔑の対象とされ」、権威たちの攻撃の前にひとり身をさらし、子を失う不運も重なり失意の中で、高木は死んでいく。

そんな高木の人生を、かなりフィクションを交えてるでしょうけれど、強い筆で書いている小説です。
父母への恩、師への恩、家族、医学を修めるということ、力を尽くしたい医師であるなら感じる学問への強烈な欲求。医師になる、正しい努力とはなんなのだろう、と最近強く悩んでいた研修医のこころには、いろいろ響きました。

そんな中で特に、今の医療について感じていたことがふたつ、自分の中で言葉になったので書いてみます。

…当時高木は臨床的・統計的なイギリス医学者で、一番力があり主流だった原因を学問的に根源から体系づけるドイツ医学者たちに学問分野で否定されました。
時代が、そう流れていたから、彼は抗いきれなかったわけです。
でも今の医学界って、高木の受けたのとは逆向きの危うさを強く感じます。英語が支配しきった学問の流れもあるのか、資本主義的結果主義が支配されているせいか、結果に繋がりやすい臨床的・統計的論理が一人歩きし、なぜその臨床的・統計的差が出るのか、原因が無視されることがよくある。数字はいじくりやすいこともあるので(数字は編集できるのでメディア・リテラシーを身につける機会がなかった一般医師は、製薬会社の資本力でけっこう簡単に誘導できる…)、研究費も入りやすいのではないかと感じます。MRさんのプレゼンとか聞いていると、「他の薬と比較してどう」とか、仮説そのままにはいかないところを無視しているとか、薄っぺらさをよく感じます。まあ、臨床医には臨床的数字こそが重要なのは事実なのだけれど…。でも、根源から体系づける、ということをはなから無視して臨床にこだわった(かのようにみえる)薄っぺらい数字の流れが(本来とはずれた)【EBM】と称されもてはやされている気がしてならない。
英米医学が世界を支配した悪影響なのか。薄っぺらい、危うさが感覚から離れません。
次の時代がどう動いていくのか、気になるところです。

…もうひとつは、Science(科学)の悪影響。
科学は、物事をシンプルに捉えようとします。なのでその思考過程で、意識的に、事実を無視します。物差しに、入れない。前の大学で科学を学んでいたころは、何を取り上げ何を無視するのかという科学の精神を叩き込まれたものでした。

最近、悩んでいます。
今の西洋医学が無視しているもので大切な情報って、山ほどあるのではないかなと。それらを無視し続けていていいのかなと。
たとえば、「目の輝き」「眼の焦点」「顔色」「表情」「姿勢」「全身から出ている活力」「声の張り」「笑顔の鋭さ・軟らかさ」などなどは、治療による改善・悪化の状態を追いかけたり、救急の緊急度を把握し検査前確率を検討したりするときに役に立つと感じます。でも、それらをカルテに記載してみようとすると、すごく、胡散臭くなる…。
シンプルに客観化できるものだけで論理をつくるのが西洋医学であり科学。逆に客観的物差しにあてはめにくいものをいれようとすると、胡散臭くなるのが医学。
なのかな?
でも、論理体系つくるのに都合の悪い尺度を無視することが、ほんとに医学なのかな…。鴎外ら権威の医学者たちの誤りを繰り返してはいないのかな…。権威書にないものを無視するのが医学なのかな…。
そんなことを鬱々と考え込んでいる最近でありました。

そんな中で、気持ちを整理するのにいい本に出合えたと感じました。

2006年11月14日

医療と農業の「立ち去り型サボタージュ」

昨日の文章の追記で…。

> アメリカの保険会社の例も、見過ごせません。アメリカでは医療現場に何も関わっ
> ていない何も生産していない保険会社の従業員が大量に存在し、それが医療現場
> で患者と医療者が血を吐きながら生み出した成果を吸い上げています。

すでにそのような状況、実は若手医師・看護師の「立ち去り型サボタージュ」と
いう形で日本でも起きている気がします。

その前に、「立ち去り型サボタージュ」について他の例を。

日本の農業。現場はとてもとてもしんどいです…。農家は子供をそんな農業させ
たくない。でも、先祖代々の土地を手放すこと、農業をすてること、そういった
道義に反することはできない…
と、子供は農協に就職させ、畑は外からの人間に貸して…なんてことがあったり
します。Iターン、Uターン、ですよね。

ポイントは「現場がもうどうしようもなく辛すぎるから、現場で働く仕事ではな
く、現場の産物を右から左に動かして飯を喰う農協に就職する」という現象。
それは、意味のない農作物の価格上昇をつくっていたりする。他国の農作物と比
較しての日本の農作物の価格競争力はさらに低下する…。
それは、農家を責めるべきことではなくて、そのような状況があることに注目し
ないといけない。それくらい、現場はしんどい…

農業。草木の成長をみて、自然を感じ、ときに打ちのめされつつもとてもやりが
いのある仕事。誇りのある仕事。先祖から続く仕事。
でも、それを放棄せざるをえない、農業の現場。


同じことが、医療現場にもおきていると感じます。
やりがいはある。誇りもある。命が救える。
けれど、それを放棄せざるをえない、つらすぎる現場。
医療現場に疲れた医師・ナースが、直接の現場とは離れたところで職に就く。
現役の医学生でも、医療現場ではない場所で働くことを決めているものもいたり
します(もちろん、現場より心惹かれる場所を見つけたというひとも多いですけ
れど)。
そうして、現場からひとがへり、現場と離れたところで医療のお金が動く。
そしてさらに現場はしんどくなる。

けれど、それくらいしんどい現場だったり…
「立ち去り型サボタージュ」
医療より早くそれが起こった農業のどこかに、医療改善のヒントがないかなー、
と、最近アンテナを伸ばしてみています。

2006年11月13日

「医療に市場原理」???

「医療に市場原理を導入することによって、医療の無駄をなくすべき!」
という議論があります。そういった意見に対して思うことがあります。

市場原理は無駄を省く、というのは、論理の通っていない思い込みに過ぎません。
資本主義、と呼ばれる大量生産大量消費主義の社会では、市場はミクロのレベル
(会社、商品、サービス等の現場)では無駄を削る方向に動きますが、マクロの
レベル(社会、環境等の全体)では「無駄」によって成長するものだからです。

資本主義が社会主義になぜ勝つことができたのかを考えればわかりやすいのでは
ないでしょうか。

前者が後者に勝てたその理由は、「無駄」「欲望」の二つがキーワードだと思い
ます。

後者は、「欲望」を制限し「無駄」を省こうとした。計画経済、などが代表です。
それは、マクロの無駄を省こうとする作業。でもそれは、市場の活力を殺し、ミ
クロの無駄を多量に産生した。

前者は、「欲望」を制限せずそれを活力として利用し、生存とは無関係な「無駄」
のままに社会を動かした。だから、余力が生まれ、遊びが生まれ、社会に活気が
でき、いろいろなものが生み出された。そして社会の内部は豊かになった。
(たとえば、今年の色はこれ!とか書いているファッション雑誌とか、無駄・欲
望をつくり消費をつくることで経済を回転させ活性化させる)
「欲望」がkeyになるというのは株価の上昇などみていると、わかりやすいです。
ひとの「欲望」を刺激したものが価値を高める。欲望と実質は別に離れていても
いい。ちょっと前のITバブルのように。
また資本主義で生き残るためにはミクロのレベルで無駄を省かないといけない。
そうしないと、他者に勝てない。無駄を省いてがんばる存在だけが生き残る。そ
れもまた社会を「効率化」させ活性化させる。
でも、マクロのレベルで無駄ができる。貧しい国ほど金持ちは大金持ちで、貧乏
人は極貧であることからもわかるように、そのマクロな無駄は国を貧しくします。
社会主義とは逆なわけです。
(まあ、ソ連・中国などは党という組織で階級を再生産してマクロな無駄をつく
り国を貧しくしていましたけれど…)


日本は国民皆保険という「社会主義」でコントロールされてきました。だから、
ミクロのレベルでは無駄は多かったり満足度は低めたりしたけれども、マクロの
レベルでは無駄が少なかった。それが、世界的にみて医療費が非常に低くもレベ
ルの高い現状をつくりました。でもやっぱり、現場の満足度はどうしても低く…。
それも社会主義の側面。

そしてより質の高い医療を、という欲望に手綱を握らせた「資本主義」で医療を
推し進めたのが、アメリカ医療。派手で質の高い成果はほんとうにたくさんあり
ます。「欲望」に基づいて「遊び」をつくること(弱者を切捨てたり、医療従事
者という資源がより少ない途上国から医療従事者を吸い上げたり、など)が正当
化され、さらに派手で質の高い医療をつくり、さらに遊びを大きくし、さらに質
の高い医療をつくる…
でも今、さすがに「遊び」もつくれなくなりパンクしているアメリカがいます。


付け加えるならば、資本主義にすることで得をする人々がいるから、「市場原理
の導入!」が声高に叫ばれるわけです。得をするひとがいるということは、損を
するひとがいるということ。質量保存の法則は、真理。そして、市場原理の導入
によって、ミクロの無駄がへり、マクロの無駄がふえ資源を吸い取られそこで得
をするひとができたとき、ミクロのレベルの資源が減り犠牲となるのは現場に関
わるひとびと、つまり患者であり医療従事者。

市場原理によるミクロのレベルの無駄削減は想像しやすくまた目に見えやすいけ
れど、それは無駄をマクロでつくる選択です。弱者を切り捨てたり、より弱者か
ら資源を吸い上げたり…。
アメリカの保険会社の例も、見過ごせません。アメリカでは医療現場に何も関わっ
ていない何も生産していない保険会社の従業員が大量に存在し、それが医療現場
で患者と医療者が血を吐きながら生み出した成果を吸い上げています。


隣の水は甘いと信じてしまうのが人の性ですけれど、勤勉な日本人は、社会主義
医療国の今の方針を、現場の満足度を高めるように追求し続けるほうが幸福だと、
ぼくは思うのですけれど…

2006年11月12日

オレの目指す臨床医像

俺の目指す臨床医像。
それは、極めて内科、だと思う。

きっちりと診断し、たった一つの原因を西洋医学的に突き詰めすでに研究されたたった一つの方法で対処し、東洋医学的に症状に対応しベースを上げる。抗生剤は適正に使用し、薬の副作用に対しての薬は使用しない。

そんな臨床医を目指したい。
けれど、臨床の向こう側に気持ちが行き続けるのが俺という人間だと思う。
臨床以外にはどんなことをする、どんな「医師」になりたいのか?

まだ、見えない。

2006年11月06日

看護って??

先日、とあるナースとディスカッションする機会があって、あたまにきて、書いてしまったメールです。
論理の浅いところもあるとも思いますが、長文ですがお暇なときにご笑覧いただけると幸いです(汗

ついでに。
ナイチンゲールの『看護覚え書き』
は、医療と医学を考えるのにとてもいい本です。機会があればぜひ☆


--------
頭に血が上ってしまったのは、訪問看護は何ができなくて困っているのか、何が
できるべきなのか、という話をしていたときでした。大まかなところは強く納得
するところもあったのですが、どうしても見過ごせないところがありました。

『一定の教育を受けた訪問看護師の限定された薬の処方(緩下剤、鎮痛剤)、尿
・血液・分泌物等の検査指示、を許可すべき』

という項目を聞いたときに、

 「ナースが医者化してどうするんですか?!」

とぼくは思わず叫んでしまいました。


4つの視点、からです。


まず、歴史を振り返ってみます。

医者って昔から極限状態に手を打つという華々しい職種ではありますが、実際に
やっていたことは、西洋医学では、つい150年くらい前までは手を出したがゆえ
に人の寿命を縮めた、という状況の方がはるかに多かったと思います。
当時までは清潔操作という概念がまるでありませんでしたし(「西洋」医学、に
は)、使える手段も水銀とか体に悪い薬とか、瀉血(体から血を抜くと元気にな
るという迷信が医学を支配していた)とか、下剤とか、で医学は行われていた。
華々しくはあったけれど、でも、結果は伴っていなかったはず。まあ、医学で命
が救われたらめっけもん、という程度の認識だっただろうから、王様が触れば病
気が治るという「ロイヤルタッチ」がごとく、貴重であるがゆえに重宝されただ
ろうけれど。でも、貴少であったから大切にされた、だけ。西洋医学の起源はそ
こにあることは、忘れてはいけないと思います。

対して看護は、実行者たち個々人の顔は見えない地道な作業ではあっただろうけ
れど、確実に病気を快方に向かわせ、人を癒し続けていたわけで。結果で見れば
看護のほうが医学よりずっと役に立っていた時代の方がずっと長いはず。
看護の力で奇跡、は起きたとしても医者の手柄になっただろうから目立たないけ
れど。でも、実直にひとの命を救い続けてきた。

その後、医学は錬金術とともに科学の枠組みで急速に発展したから今のようにい
ろいろできるようにはなりましたけれど、看護が医学の下、ということはないは
ずです。
下手な治療は患者の害になるのです。下剤でだって状況しだいでひとは殺せる。
そんな下手な治療や下手な検査より、本質的な看護の方がずぅっと上。
でも、かたちが目に見えやすい下手な治療や下手な検査の方が、看護より医学に
華があった昔からもわかるように何か結果を出していると思われやすくて、形に
見えにくい看護より重要視されやすい。
看護師による検査や処方を通してしまったら、下手な治療・検査ができる前時代
的な「似非医者」に看護師はなり、ほんとうの看護師が減ると思います。それは
医療を大きく後退させる。ほんとうの看護師、は、ほんとうに重要なのに…。

だから、なんてプライドのない医療の未来をつぶすことを看護協会のそのひとは
主張しているんだ…と思ってしまいました…。


二つ目、危険の増大と医療費の圧迫。

とりあえずの治療やとりあえずの検査って、患者にも医療者にもこころにとりあ
えず「手は打ってみた」という平安をあたえることはありますが、本質的な解決
には繋がらない。
まあ人間には治癒力というものがあるわけですからそれでも自然に治ることは多
いです。わざわざ薬で治療する必要のない病気もよくあるわけで。
そして大切なのは、ほんとうに危ないものが表面的な検査結果のせいで見逃され
る、ということもよくある話です。検査結果陰性だけれど実は重篤な病気という
のはしばしばある話で。また、検査結果を真に読み込み診断に結びつける、とい
うのはとてもとても難しいことで、医者でもしばしば見落としはあったりします

そんな難しいことを看護師までできるようになったら、リスクが増えます。
下手な検査や下手な治療をする前に、看護の研ぎ澄まされた目で見て、医者に見
せたほうがいいのか家でケアを十分すればいいのかをきっちり判断するほうが、
ずぅっと大切だと思います。

あと、検査にはお金がかかる、ということも見逃せません。
医療費の増大が叫ばれる今、きちんとした医者は無駄な検査はしない、無駄な処
方はしない(危険も増やすし…)、という哲学をもって、お金のかからない医療
を追求しています(検査をしないということは医院経営を悪化させますけれど…)。
そんな中、看護が検査や治療をできるようにするなんて、時代に逆行します。
看護が検査や治療をできるようになったら、絶対に、看護力を研ぎ澄ますのでは
なく、安易にとりあえず使える検査や治療に多くは頼りきる未来が出現します。
歴史がそれを証明しています。
看護師が下手に医学の領域に手を出せるようにしたところで、医療への害が出現
するだけだと思います。


三つ目、ナイチンゲール。

僕は、ナイチンゲールは看護を科学的にした偉大なひとだと思います。
彼女は『看護覚え書き』で、

・とにかく、観察し続けること
・観察に基づきより回復に向かうように、食事・環境などを丁寧に丁寧に整える
こと
・何か異常があったらきちんと医師に伝えること

3点が重要だと書いています。

病気を診断し、その病気に合わせた治療法を処方する。それは医者の仕事だと彼
女はきちんと認識しています。その前提のもとに、看護の重要性を彼女は説く。

そういったナイチンゲールに反することが、その主張だと思いました。
ナイチンゲール=看護、ではないですが、でも、看護は看護としてすばらしいと
いうのは真実だと思う。安易に医師の領域に足を踏み出して、医師にはできない
看護originalな力を失うのは、やめていただきたい。


4点目として医学と看護の違いを…。
…看護学を勉強したことがない私ですが、看護を論じてみます。

看護のキーワードは、
【観察】
【環境整備】
のふたつだと思います。

看護は、少なくともナイチンゲールは、

 1.より改善している
 2.改善している
 3.変化していない
 4.悪化している
 5.より悪化している

のどの段階に患者の状態があるのか、全力で【観察】することからすべてをはじ
めていると思います。
そして、より上の段階に患者をもっていくために、身体的環境、物理的居住的環
境、栄養的環境、社会的環境、心理的環境、医学的環境を、【あらゆる環境を科
学的に論理的によりよいものにしようと手を尽くす】のが、看護だと自分は理解
しています。

つまり、
 「観察」→「環境整備」→「観察」→「環境整備」→…
をひたすら繰り返しよりよい患者の状態をつくり続けるのが看護なのではないで
しょうか。


…さらに(西洋)医学を論じてみます(研修医ですけれど:汗)

(西洋)医学のキーワードは、
【物語】
【一元論】
の二つでしょう。

(西洋)医者の診断は、病歴聴取から始まります。
いつ始まったのか、どんなふうにおかしいのか、どの部分は正常なのか、などな
どなどを聞き出します。
そして身体所見をとり、
さらに必要な検査をします。

そして、異常・正常な状態が、過去から現在にいたるまでどんな経過で変化して
きたのかという【物語】を捉え、その【物語】をもとにその変化すべての原因と
なっている【たった一つの異常】を見つけ出す。
病歴聴取→身体所見→検査所見と三つの段階を進むたびにどんどん異常が存在す
る部位・原因の可能性の範囲を狭めていく。
それが、医者の診断過程です。
(だから、検査からはじまる診断、などありえなくて、検査好きの世の中はどう
にかしないといけないわけで…)

そうして見つけた【たった一つの異常】をひっくり返し【物語】全体を正常また
は正常に近い状態にしようとするのが、治療なわけです。


で、そんな(西洋)医者にとって、
たった一つの異常を確信をもって見つけるためには、検査は必要です。
たった一つの異常をひっくり返すためには、薬や手術は必要です。

でも看護は、観察と環境整備に全力を尽くすのが本分でしょう。
であれば、検査以上にたくさんの情報が、きちんと看護的観察をすることからみ
えるはずです。そうでなければ質の低い看護にすぎないでしょう。
副作用のある薬を使う必要なく、いろいろ環境整備により最善な状況をつくりだ
すことはできるはずです。それをしない看護は、怠慢でしかないでしょう。

医学より質の高いことを看護はできる。
そのように、看護師には科学的・論理的に主張していただきたいと思うのですが…
実際、できると思うし。

看護は看護として重要だ。
ナースがそれを発信できなければ、ほんとうのナースがいない日本の医療が未来
にまっています。それは、日本の医療にとって大きな損失だと思います…。


…今、いったい何が「看護」なのか、看護大学ですら見失っていると思います。
「白衣の天使」とか、
「看護は愛だ」とか、
本質とはまったく関わりない、綺麗なドラマを感じる、けれどrealではない言葉
でモチベーションが維持されている。まあだから、不自然な状態が継続して看護
の元気がうせ、離職率・転職率・一時退職したあとの再就職率、が極めて高いと
いう結果がでてきているのだとは思いますが。

そしてまあ、不自然なモチベーションで維持しなければいけないほど、世の中は
(看護師たち自身ですら)看護を重要だと思っていないという根本問題があると
も思いますが。

2006年10月12日

本紹介 『頭痛・めまい・しびれの臨床―病態生理学的アプローチ』

『頭痛・めまい・しびれの臨床―病態生理学的アプローチ』

この本は、非常に面白い!!!! 30年前に書かれた本だけれど、だからこそ、味がある!!!

…救急・外来では必ず出会う、「頭痛・めまい・しびれ」なんですけれど、その
診断は研修医にはとてもとても難しかったりします。
この本は、まだCTもMRIも一般的ではなかった時代に書かれた「頭痛・めまい・
しびれ」についての本。で、だからこそ、機械に頼らない診断方法が丁寧に書か
れています。
やっぱり、検査とかしないで病歴だけで診断してしまう医者ってかっこいいです…。
目指したいところであります。

ただ、機械が古いせいで記述が少しずれているところもあったりして、頭から信
じることはできなかったりします。医学生にはそのずれはわかりにくいかもしれ
ないので、読むのは研修医になってからでもいいかも。


補足です。
めまいについて全体像を眺めたいならこのページが非常にわかりやすいです。

「めまいの診断基準化のための資料
 ―1987年めまいの診断基準化委員会答申書―」

http://memai.jp/shindan/Supp-11.htm

資料としては古いけれど、古い病気は基本をおさえることこそが大切なんだな、
と読んでてとても勉強になるページです。
医学生の皆さんも、こちらはぜひぜひ。

2006年09月19日

医者とナースと、男と女と

先日、友人と話をしました。
男と女の勘ってなにか違う、とずっとぼくは考え込んでいたのですが、友人に意
見をもらいました。

「女の勘は、視覚的なのでは?」

…なるほど、と思った次第で。
つまり、目で見えるものがふつうとちょっとずれていると敏感に気づく、と。


男の勘って論理とのずれを感じる力、だと思います。
過去から未来までの論理と道筋を、言葉として明確化できていないとしてもくみ
上げていて、それとのずれを感じるのが男の勘、だと思うのですよね。
だから、うだうだと昔のことを気にしたり、かなえられるのかよくわからない夢
にこだわったり、ということがある気がする。

対して女の勘って、上に書いた意見をちょっと進めて、普通・日常とのずれを感
じる力、と自分は感じています。
だから普通、というものへのアンテナの高さは男よりずっと高いし、あつまるこ
とや話すことは好きだし、ショッピングとかのように視覚的な大量の情報を処理
することができるなと感じます。

そう、未整理な大量の情報を処理する女性の能力って、すごいな、と思うのです
よね…。男はざっくり処理していくと思います。
まあ、あくまで平均値の話で、個々人ではかなり分散する話ではあると思います
が。


で、なんでそんなこと書いたかというと、医師と看護の違いは男と女の違いに通
じるところを感じるのです。

医者の本質は、診断と治療、とざっくりとは整理できる気がします。
でもそのどちらの本質も、「物語をつくる」ことだと感じます。

典型的な疾患、典型的な体、というのは理想の世界にしかない。つまりこの世に
は存在しないわけで。教科書には書いていないような非典型的な病気の状態しか
ないなかでその病気だと断定していく。それが、診断。そして、教科書どおりな
理想的なからだなどない中で、微妙にコントロールしていくのが治療。その極致
にあるのが手術なのでしょうね。

そこで重要になってくるのは、どちらも、物語をつくれる能力。
典型的な物語(教科書的疾患)とのずれを感じながら修正しながらどれだけ説得
力のある物語(その人の疾患物語)をつくれるのかが診断であり、ずれてしまっ
ている物語(病気の状態)をいかに元気な状態という物語に、微調整しながら無
理矢理に修正するかが、処置であり手術。
男の勘。
そう、研修しながら感じます。

対して、先日ナイチンゲールをやっと読みました(汗
そこで彼女が何度も繰り返すキーワードが、「観察」。
観察して観察して、よりよい方向に導くのが看護だと、彼女は書いていると感じ
ました。看護は愛だ、といった「与える」というイメージではなく、観察こそが
看護の本質だ、と書いているのだと僕は感じました。そう、五感を使って観察し、
きっちり変化に気づくことができなければ看護ではない。
女の勘を感じます。

現場でナースをみていても、女性の能力をシステムに組み込んでいるな、と思い
ます。身近なことだと、申し送り。看護師は3交代or2交代で病院で働いているわ
けですが、その交代のときは会話で申し送る。
…男だとそんな引継ぎできない、といつも見ていて思います。

医者は男であるべきだ、とか、
看護師は女であるべきだ、とはまったく思いませんが、
歴史的に、男女の違う能力が入り込んでいる気がするのですよね。


…どうなんですかね?

2006年09月11日

医者ではない医療従事者も病院で影響力を持てるようにしたい!

この間、I-cubeではない医療系の活動の仲間に言われ、結構へこんだことばがあった。

「この間のI-cubeの企画、何人の【医学生】がきたの?」


…医者(臨床医)は、確かに医療のシンボルだと思う。
医者でなければ医療はできないと思っている医学生でない医療系の学生も多い。
現場も、医者がウンと言わなきゃ、できないことはあまりに多い。
医者(臨床医)がよければ、現場はよく回る。
それは、事実。

…でもそれでも、いい医者(臨床医)がいればいい医療ができる、という固定観念は、間違えていると思う。

医者(臨床医)が医療をするのではない。
病院が医療を実行するのだし、
基礎医学者や研究医学者が研究するから医学が進歩し、現場の医者はその進歩した医学を使うだけであったりする。
医学教育者が良質な医療従事者を育成するから良質な医療が行える、という観点もある。

医者はシンボルではあるけれど、また基礎能力が他の分野のひととくらべて高いけれど、でもやっぱり、シンボルでしかないと思う。
医者だけで医療は成立しない。
当たり前、と言われることではある。
でも、軽視されすぎている当たり前、だと思う。

臨床医以外の存在が、あまりに軽視されすぎてはいないだろうか??

「医者は患者と向き合うことがすべて、100%を患者にむけなさい」
は、医療医学をわかっていないひとの科白だ。

僕は、現場の医者だけが作る医療、ではなくて、関わるすべてのひとが作る医療、としたい。
それこそが、本質に届ける仕組みだと思う。
今の、医者がすべて、は、表面的にはわかりやすいし確かに今よりよくはできるだろうけれど、本質的なところには届かないと思う。


まだ俺に実力がないから、証明できないけれど。
証明したい。実力、つけないと…

2006年09月10日

医者以外の人間も、病院をかえれるようにしたい!

この間、社会人の医療活動の仲間のひとに、聞かれた。

「I-cubeのこの間の企画には何人の【医学生】があつまったの?」

と。その質問をかみ締めつつ、そのあと、へこんだ。

患者には、医者が見えやすい。
感謝のことばを独り占めするのは医者だったりする。
現場でも、医者という権力者を越えて改革をすることは他の職種だと難しかったり、あとやっぱりどうしても力不足で医者のところには届けない医療従事者は多い。

でも、医者だけが病院を変えれる、という一般的な考え方には、それでもやっぱり、異を唱えたい…。
医者がウンといわないと、よりよく変われない病院。医療。
それは、間違えていると僕は信じる。
医者がウンというか言わないかは別次元に、よりよく変われるようなシステムが正しいと思う。

医者がどれだけいるか。
今の医療は、確かにそれがとてもとても意味がある。
でも、本質的な正しい答えには、それでは届かないと思う…。

医者が医療を行っているのではない。
いろいろな職種が関わっている病院が医療を行っているのだし、
医学は医者の向こう側で基礎医学者によって発展しているのだし、
医学教育者が良質な医療者を育成することで良質な医療が実行される。

医者は、医療のシンボルではある。
わかりやすい。

けれど、シンボルに過ぎない。
本質は、違うと思う。
医者だけで、医療は正しく変えれないと思う。
病院は正しく変えれないと思う。

医者、だけでは。

証明するには、俺はまだまだ実力不足だけれど…

2006年08月16日

診療方法いじって稼ぐという医療経営は、間違えてないかなぁ

最近いつも感じていることを書いてみます。


病院の経営が厳しい昨今、病院が生き残るための方法として、保険点数をどうと
らえどうお金を手に入れるか、という講習会とか考え方が、医療経営ということ
で目立ちます。でも、それってへんだなぁ、といつも感じるのです。

医療って、「生命に関わることだから」という理由があるから(まあ、生命に関
与しない治療はかなりたくさんあるんですけどね…)患者の納得なしに金額を決
めれるへんな商売です。DPCになって病名で金額が決まるようにはなりましたが、
もっとも患者さんからお金を取れる病名の決め方をするのに熱中している病院経
営が今もあり、本質的には変わっていません。出来高の昔よりましにはなったで
しょうし、また、正当な金額をプロとしていただくことは大切なんですけれど
(踏み倒す患者もまたけっこういますよね…。お金がないから払わないのではな
く、払いたくないから払わない、というのがこの問題では主な気がするのですが、
どうなのですかね? だって、払えないひとの医療費はちゃんと市区町村が払っ
てくれますから)。


そんなふうにどう「黙っている患者からお金をかっぱぐか」
ではなくて、もっとどうよりよく運営するかとか、職員が働きやすくするかとか、
納得の上でお金をもらおうかとか、もっと無駄を省くか、とかの本質的な経営を
行う必要性を感じるのです。

どうなんですかね?
まあ、奇麗事なのかもしれませんが。

2006年07月13日

何で採血は看護師がやるのですかね?

最近朝の採血をすることを休んでいる小池宙です。
目に見える採血のスキルとかあげたほうが見栄えはいいしうけもいいのは分かり
ますが、それより頭に栄養あげておくのが今すべきことじゃないかな、と思いま
して。朝の採血の時間で、論文が読めるし、山ほどの読んでいない本もあるし…。
それに、大学病院に帰ったら山ほどの採血と点滴ラインとりをやらされますし。
大学病院のナースはそういった仕事はしませんから。大学のナースは引継ぎだけ
をひたすらしているのではないかと市中病院のナースの噂はききますが、実態は
どうなのか、来年が怖いです。

まあそれはともかく、ナースさんたちの負担が気にりつつもお手伝いできていな
いなとどきどきするなか、気になるのが、どうして朝の採血はナースがしなくちゃ
いけないのかなぁ、ということです。検査技師だって採血できるのに。そして、
検査技師って世の中にあまっているのに。
検査技師よりナースの方がなんでも手伝えて便利そう、というのは分からないこ
ともないのですが、マネージメントと教育でそのあたりは乗り切れる気が…。


病院運営のボトルネックは、
1)医師不足
2)ナース不足
の二つだろうと思いますが、上は政策レベルでいじらないとどうにもなりません
が、下は、いくらでもやりようがある気がします。免許はあるけれど働いていな
い人や、「隣人の荷物は軽そう」と病院を転々と動くナースの多さを考えると。


病院の一番の下っ端だけれど「先生」と呼ばれる身分からの感覚でした。

2006年07月06日

買っちゃった…

久々に銀行の残高をみた。
研修医になってほとんどお金を使わなかったら、学生時代は見たことない金額がたまっていた(いちおう家に仕送りはしているんだけれどね)。つかまあ、10万円以上のお金が口座にはいったことがない貧乏学生していたので、とうぜんといえばとうぜんなのだけれど。

とまあ気が大きくなってしまったので、ついつい、貧乏人小池としては大枚はたいて買い物してしまいました。
…といっても3万円ちょっとの本たちなのだけれどね。給料はもらえるようになったけれど、貧乏人根性はぜんぜんぬけません(涙)
しかし、MRさんにもらった資料の山に埋もれているというのに、プリントアウトして読まずにたまっている論文が山とあるのに、読めるのだろうか?

まあ、つんでおくことにも意義がある、ということで(汗

ちなみに買ったのは、

「Diagnostic Strategies for Common Medical Problems」

各検査の、感度と特異度をまとめた本。検査をしていてそういったデータがほんとうにほしくてたまらなかったので、買ってみました。来週になれば使えるというのが、たのしみです♪


「マクギーの身体診断学―エビデンスにもとづくグローバル・スタンダード」

こっちは身体所見の感度と特異度をまとめた本。これも、つくづく、ほしかった…
感度と特異度を意識しないで所見をとっていても、確率論で考えることができないのだもの…

● 「めざせ!外来診療の達人―外来カンファレンスで学ぶ診断推」

これもやっぱり診断学の本。病気の9割は問診で分かる、ということばで有名な千葉大総合診療部教授の生坂政臣先生のご著書。これも読んでみたかったんだよね!!


あとは、診療していて少しずつイメージできるようになってきたからこそ疑問点ばかり浮かんでくる感染症系の本。

● 「レジデントのための感染症診療マニュアル」

高かったけれど、良書と評判なので、かってみた。届くのが楽しみです。


● 「そこが知りたい!感染症一刀両断!」

安めで良書と評判なので、買ってみた。どんなものなのかな?


● 「病院でもらう病気で死ぬな!―現役医師が問う、日本の病院の非常識度」

院内感染の原因菌はこんでないかな〜とどきどきしながらも、必要に迫られ腕時計を使っていた。でも、やっぱりこれじゃぁいけないよなぁ、と、初心に帰るために昔読んだ本をまた買ってみた。どうせ家に帰っても発掘できねぇし(汗)


● 「抗菌薬の考え方、使い方」
● 「感染症外来の事件簿」

感染症界で有名な岩田健太郎先生のご著書。
CareNet.comでちょうど今日無料放送していた岩田先生の講義が非常に面白かったので、買ってみました。どんな内容だろう?? 届くのが、楽しみ♪


…しっかし、今日買った本のほとんどは、新品よりもユーズド価格の方がたかかった。
いったいなんでだろ??

…そしておれは、これらの本をいったいいつ読み終わるのだろう…。
心配だ…

2006年06月14日

Exp20 『ホスピスから考える“I have a dream.”』

緩和ケア・ホスピスイベント
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『ホスピスから考える“I have a dream.”』
            <<Your Experience 第20弾!>>

■ ◆----- 6月17日(土)13:30〜 in 東京医科歯科大学 ----- ■ □
■ □   
    〜ホスピス医からの<メッセージ>〜
           小澤竹俊氏(横浜甦生病院ホスピス科長)

        Produced by I-cube 〜夢の病院PROJECT〜
               http://icube.umin.jp/
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 参加申込はこちら!!
 http://my.formman.com/form/pc/CmJblz4nFCEkmGxa/
        ・・‥‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ホスピスのイメージ・・
全ての人が幸せになれる場所でしょうか?
全ての人が“Happy”なのでしょうか?
それは違う気がする。
苦しんでいる患者さんがいるはず・・・

じゃあ、苦しみって何?

簡単に答えようとしても難しい。
苦しんでいる患者さんをどう接していけばいいのか?
一緒に知って、話して、考えてみませんか?

また、今回のタイトルである “I have a dream”
あなたが医療現場で描く夢どんなですか?
あなたはどんな医療者になりたいですか?
「夢」は言葉にして、現実に近づきます
自分の中でとどめないで、みんなで話しませんか?
みんなで共有して、確かな夢の確立へ・・・
一緒に知って、話して、考えてみませんか?

《テーマ》
【ホスピス】の共有<実際のホスピスの現状とは?>
【苦しみ】の共有<苦しみとは何か?>
【夢】の共有<小澤氏の夢やホスピスの講演を聞き、自分の夢を考えるきっかけに>

 ◆日時  2006年6月17日(土)
       13:30開始(13:00開場 16:30終了予定)
 ◆場所  東京医科歯科大学(予定)
     (最寄: 地下鉄・JR「御茶ノ水」駅すぐ)
 
 ◆参加費(資料) 学生500円(社会人は1,000円とさせて頂きます)
 ◆当日連絡先 070−5557−7015 (担当:二瓶)

◇◇---------------------------------------------
講師:小澤竹俊氏 (おざわ たけとし)
     横浜甦生病院ホスピス科長
     1963年、東京都生まれ
医者を志して慈恵医科大学に入学する。卒業後4年間の大学院での勉強を終え、救命救急センターで循環器系の医者として2年間働く。その後、山形県の町立病院に移り、学生時代からの夢であった農村医療に従事する。「延命」よりも「看取り」の重要性を感じ、ホスピス医になることを決意。現在は横浜甦生病院で、内科を担当すると共に、ホスピス科の病棟長として勤務している。

 著者に、「苦しみの中でも幸せは見つかる」など。

       ---------------------------------------------◇◇
       メルマガ『メディナビゲーション』にて、活動
       情報配信を配信中。ぜひ、ご登録ください。
       http://icube.umin.jp/medinavi.htm
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(会場の大きさに限りがあるため、事前に申し込みをいただけると幸いです)

参加申し込みフォームへご記入の上、ご送信ください。
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当日参加も可!(ただし事前申し込みのある方を優先させていただきます)


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  ◆主催:I-cube 〜夢の病院PROJECT〜 http://icube.umin.jp/
  ◆連絡先:小池宙 (I-cube代表)

↓ここ数回の私たちの企画の報告は、こちらで読むことができます↓
◆『先輩ドクターへ 僕らからのメッセージ』(ケアネット.com)◆
http://www.carenet.com/others/icube/index.aspx


 ■ I-cubeとは? ■
 私たちI-cubeは、
 ・ Intercollege(学校間)
 ・ Interdivision(専門間)
 ・ Interchange(互いに交換)
 の3つを合言葉に医療について学びあうサークルです
 一緒に『何か』を交換しませんか??
 そして未来の医療を共に、紡ぎましょう!

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      ◆この文章は自由に転送してください◆

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2006年06月02日

病院食はやっぱりからだにいい!

ここしばらく、3食ほぼすべて病院でたべている。
朝は検食、昼は病院食道、夕も検食。
お金もかからず、悪くない!

で、今朝、ふと久々に、家に転がっていたインスタントラーメンで朝食をとってみた

…そしたら、下痢で苦しんだ。

ここしばらく、そんなかんじ。どうも、インスタントラーメンとかカップラーメンとか食べると下痢をする。悪いもの(化学調味料など)をからだが受け付けなくなっている。やっぱ、ああいったものはからだに悪いんだろうなぁ。

ということで、研修医のしんどい?生活も、からだは壊さずになんとかやれています。


2006年05月17日

「なんで?」

思った。

患者さんの答えが出るわけがない、「なんで?」がある。末期がんの患者さんとか、受け入れがたいものを受け入れなければいけないときにあふれてくる「なんで?」だ。

…これって、本質的には女性がよく口にするような、看護師さんたちが医者の理不尽に文句言うときのような「なんで?」と同じなのだろうな。

前者を軽蔑するわけではない。
ただ、前者と後者が同じものだと感じたときに、いろいろふっと、見えてきた。

2006年05月03日

似非科学?ナースキャップ廃止について

ナースキャップ、あまりあらうことがないものだから、汚い、という理由で廃止になったときく。
でも、なんかおかしい、と見ていて思うのです。

ナースキャップが汚いというけれど、でも、もっと汚いものをほとんどの医療者がみにつけていると思う。それは、腕時計。かく言う自分も、ないと困るからつけてしまっている。ほんとうは胸に下げる時計が一番いいのだけれど、なかなかいいものが売っていないので…。

そう、腕時計、ものすごく汚い…
このあいだ、綺麗にしてみようかな、と、家の近くの眼鏡屋さんの店頭にあったソニケーター(超音波洗浄器)につけてみた。洗ってみた。

…そしたら、ものすごい汚れが、水一面にひろがっていった(眼鏡屋さん、ごめんなさい!:滝汗)
腕時計の汚さを実感した日でした。
まあ、年がら年中身に着けているのだから、当然だろう。

で、そんな汚いものをふつうの医療者は、一番綺麗にしなきゃいけない手のすぐ傍についけて、患者さんに触っていることになる。ちょっと意識はしてもいいことだと思う。

でも、だからといって、全面的に廃止すべき、とは思わない。
重要な、求めるべきアウトカムは、「院内感染を防ぐ」ということ。
腕時計を全面廃止すれば院内感染を防げるかどうか、という事実が重要。
それなしに全面廃止というのは、evidenceに基づかない、非科学的な医療。
まあ、医療自体、科学的であることはコアではなく、治療する、というところがコアだから必ずしもevidenceに基づかなくてもいいだろうとは思う。

結論。書きたいこと。
それは、腕時計のように、ナースキャップよりずっと汚いものを許可しておいてナースキャップ廃止というのは、バランスの崩れた選択だ、と思うのです。意味が、ない。


だいたい、人間なんてもともと汚いんだから、けっこう汚くてもだいじょうぶそうだし。

2006年04月20日

検査をオーダーしていて思うこと

検査をオーダーしていて思うことなのですが、医者が勝手に選んでいる検査・処
置のひとつひとつに、患者さんの承諾もなく、患者さんのお金をぶんどっている、
という状況があるんですよね…
まあ、どんなに医療を施そうが、「高額医療費」という制度があって月7万ちょっ
と以上のお金は保険が負担してくれるので、そこまでしか患者さんの自己負担は
ありませんけれど…

そんな中、お店みたいに治療や処置のメニューならべて金額つけて、患者さんに
きいてみることできたらなー、と思うのです。
いろいろ、むずかしいですけど。
救急な場合はどうしようもないし、患者さんが必要な検査・治療をさせてくれな
いせいで無駄に入院が伸びる、なんてことがあってもだめだとは思いますし。
「入院していてほしい」という家族はやはり世の中多いわけですし…。

2006年04月19日

「臨床医の診断推論能力の客観的評価と国際比較」

「臨床医の診断推論能力の客観的評価と国際比較」http://www.pfizer-zaidan.jp/fo/business/pdf/forum12/fo12_noguchi.pdf

文明開化の時代から続く欧米コンプレックスで、日本の医者は西洋の医者より質
が低いと盲目的に言われる傾向がある気がするのですが、その中で分かりやすく
て興味深いデータだなと感じました。

そして、日本の医療は検査のしすぎ、という問題(?)を表現しているところも
面白いなと思いました。検査の数を自信をもって減らすためにも、いろいろな数
値の半減期と確率論の話は、医学生時代にもっと整理したかったなと今になって
感じます。まあ、その気になればすぐに勉強できることですからちょこちょこ勉
強し始めましたが。
(いい本などあれば、どなたか教えてください:汗)

でも、だからといってそこにある高い機械を放置するのももったいないな、とも
思います。うちの病院も、高い機械がけっこう動かずに止まっています。
もっと効率よくなれば、いいのですけれどね。

2006年04月05日

初受け持ち?

昨日救急で顔を見ていた患者さんを受け持つことになった。
しっかり勉強して、備えねば!

2006年03月22日

記事 『抗生物質は「小児ぜんそく誘発」』

読売記事: 『抗生物質は「小児ぜんそく誘発」』

「1歳になるまでに、抗生物質を少なくとも1回使うと、使わない人に比べ、そ
の後のぜんそく発症率は2倍になった」

というのは非常に分かりやすい結果だと思う!
こういった分かりやすいデータで、意味の低い薬を出す医師も求める患者も減る
といいなと思う…。必要な薬が飲まれなくなったら怖いけれど…

2006年01月27日

医療の闇に、情報革命を

連載を書かせてもらっている、

 先輩ドクターへ 第7回 『医療の闇に、情報革命を』

で、12月で大阪で、読売新聞の原昌平記者にきていただいた企画]のレポートをまとめました。よろしければ、ぜひ読んでみてください。

…次の原稿、早く書かないと…

2005年12月27日

<小児救急。その現状と、母の想いと> 1/15 in 大阪

1/15(日)に、大阪で企画をやります!

読売新聞でも、小児救急の恐ろしい現状についての連載が始まりました…

 【(1)32時間勤務の「戦場」】
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20051222ik07.htm

そういった小児救急の現状を、病児遺族の会「小さないのち」代表を務められて
いる、坂下裕子さんを講師としてきていただいて、考えてみたいと思っています。
ご自身もインフルエンザ脳症によりお子さんをなくされている坂下さんのことば
から、病児を取り巻く現状と小児医療で医療人に求められているモノ、などを考
えて見たいです。
近くの方はぜひ、参加してみてください!


(転送大歓迎!)
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☆ 子供を守りたい。  家族の想い。母の願い。☆
                 <<Your Experience 第17弾!>>

■ ◆------- 1月15日(日)14:30〜 in 大阪市立大学 ---------
■ □  <<小児救急。その現状と、母の想いと>>
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 『ずっと、「死」とは終わりを意味すると思っていた。
  しかし、「子どもの死」は、そこからも始まりなのだ。
  残された親は、自分の暮らしも終わらせてしまいたい衝動に駆られる。
  だが、それは許されず、生きてゆかなければならない。
  どう始め、どう続けていくか、大きな課題であり、難題だった。

    どの子も守られてほしい。
    社会の事情で命を揺さぶられてはいけないと思った。
    十分に守られた環境の中で命を閉じてほしいというのが、
    親にとって最大の願いなのだ。』

     坂下裕子著 「小さないのちとの約束」より
 http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4906640370/chuchublog-22/ref=nosim


  あなたはどこまで、病児を取り巻く問題を知っていますか?
  最愛の子供をなくし、今の医療人、社会に訴えてきた母の想い。
  今年度、坂下さんも参加された厚労省インフルエンザ脳症研究班で
  作成されたガイドラインの話も学ばせていただきながら、
  一緒に知って、話して、考えてみませんか?


 ◆日時  2005年1月15日(日)
       14:30開始(14:15開場 17:00終了予定)
 ◆場所  大阪市立大学医学部学舎12階 セミナー室1
     (最寄: 地下鉄・JR「天王寺」駅、近鉄「あべの橋」駅)
       http://www.osaka-cu.ac.jp/information/campusmap.html
 ◆参加費 学生無料!!(社会人は資料代として1000円いただきます)
 ◆当日連絡先 070−5557−7015 (担当:小池)

◇◇---------------------------------------------
講師:坂下 裕子(さかした・ひろこ)
      病児遺族わかちあいの会 
      小さないのち 代表
        http://www.chiisanainochi.org
 著者に、「小さないのちとの約束」「天国のお友だち」など。

         ---------------------------------------------◇◇

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当日参加も可!(ただし事前申し込みのある方を優先させていただきます)


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  ◆連絡先:小池宙 (I-cube代表)Icube-official@yahoogroups.jp


 ■ I-cubeとは? ■
 私たちI-cubeは、
 ・ Intercollege(学校間)
 ・ Interdivision(専門間)
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★☆ 今後の予定! ☆★
 『美容整形・その闇の中の事実』 来年開催予定(in 東京)
   (いろいろな噂を聞く美容整形。
    実際のところはどうなのか?
    実際の「被害」はどうなっているのか?
    いっしょに、知ってみませんか)

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△


      ◆このメールは自由に転送してください◆

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2005年12月10日

「病院小児科医、宿直中の平均連続睡眠時間は116分」

気になる記事を見つけた…

「病院小児科医、宿直中の平均連続睡眠時間は116分」
医師の勤務体系は、月3〜5回の36時間連続勤務が当たり前だったりして、非常に危ない…。飲酒運転しているような状態で、患者さんの相手をしているということだからだ。
中でも小児科の勤務体制は本当に危ない…。
そのことを数字で示すデータがこのような形で市民が見れるように出てくるのはいいなと感じた。
そう、数字ってとても大切。いろいろ、数字を集めていかないとな…

そういった数字は産業医だと集めやすいから、最近は産業医もいいな、としばしば感じている。


まあ、なにはともあれ、国試のために、勉強勉強!

2005年12月01日

【12/17(土)大阪】 「医療の闇。あなたはどこまで知っていますか?

今月半ばに大阪に、こんな企画をやりに行きます。
よければぜひ参加を!
またはお知り合いに転送してもらえるとうれしいです。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆ 医療の闇。あなたはどこまで知っていますか? ☆
                 <<Your Experience 第16弾!>>

■ ◆------- 12月17日(土)14:30〜 in 大阪市立大学 ---------
■ □ << 『新聞記者』の眼を通して、医療の闇を考える>>
■ □
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  あなたはどこまで、医療を知っていますか?
  日本の病院の中で何が起きているのか、すべてを知っていますか?
  
  医療の闇を追い続け、明らかにしてきた新聞記者のことばの重み。
  『ブラックジャックによろしく』の題材となった話も交え、一緒
  に知って、話して、考えてみませんか?


 ◆日時  2005年12月17日(土)
       14:30開始(14:10開場 17:00終了予定) 
 ◆場所  大阪市立大学医学部学舎12階 セミナー室1
     (最寄: 地下鉄・JR「天王寺」駅、近鉄「あべの橋」駅)
       http://www.osaka-cu.ac.jp/information/campusmap.html
 ◆参加費 学生無料!!(社会人は資料代として1000円いただきます)
 ◆当日連絡先 070−5557−7015 (担当:小池)

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講師:原 昌平(はら・しょうへい  読売新聞大阪本社・科学部)

 1959年大阪府生まれ。京都大理学部卒。1982年、読売新聞大阪本社に入
社。京都支局、社会部を経て2000年から科学部。現在、科学部次長。
 社会部遊軍の時から、薬害エイズ、O157、安田系3病院事件、脳死
移植、結核問題、精神医療などを取材。ホームレス問題と生活保護にも詳
しい。医療と社会保障について、患者・社会的弱者の人権を重視する立場
から発言している。最近では「ブラックジャックによろしく・精神科編」
に登場する新聞記者のモデルにもなった。

         ---------------------------------------------◇◇

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(会場の大きさに限りがあるため、事前に申し込みをいただけると幸いです)
              → exp_official@yahoogroups.jp まで
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 <Your Experience 第16弾! 〜参加申込書〜>
 氏名 :
 所属 :
 メールアドレス :
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当日参加も可!(ただし事前申し込みのある方を優先させていただきます)


●原記者は、私たちI-cubeのMLにもいつも投稿してくださっています。
よろしければぜひそちらにもぜひ参加してみてください。
        ML申し込み →Icube-MLoffice@yahoogroups.jp

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  ◆連絡先:小池宙 (I-cube代表)exp_official@yahoogroups.jp


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★☆ 今後の予定! ☆★
1)『小児救急・現状と、母の想いと』 1/15(日)14:30〜(in 大阪)
   (子どもを亡くすということ。そのリアルを感じてみたいです)
  講師:坂下裕子(さかした・ひろこ)
      病児遺族わかちあいの会 
      小さないのち 代表
        http://www.chiisanainochi.org

2)『美容整形・その闇の中の事実』 来年開催予定(in 東京)
   (いろいろな噂を聞く美容整形。
    実際のところはどうなのか?
    実際の「被害」はどうなっているのか?
    いっしょに、知ってみませんか)

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2005年07月26日

古武術と医療と組織論と

週間医学界新聞から小ネタです。

 週間医学界新聞
 ■古武術介護入門
 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2005dir/n2639dir/n2639_08.htm

この筆者が教えを受けた甲野善紀先生

 http://www.shouseikan.com/index.html

は、一年生のとき養老先生と対談をしている本を読んで以来、ずっとファンでした。投手・桑田が甲野先生の助言を受けて復活したという話が有名です。どこだったか、無名だった進学高校のバスケットチームも、甲野先生の弟子の教えを受けて、強豪校になったという話もまた有名ですね。
などといいつつも僕も余力がなくて講習会には一度もいけていませんが(T-T)

古武術というのは、非常に面白いです。

僕はもともと科学者だったせいもあり強く思いますが、西洋運動論から西洋哲学まで、「支点・力点・作用点」を意識した「てこの原理」が重要です。原理・原則が重要なんですよね。それは、分かりやすいし大きな力を得られる。それが、科学がこれだけ力を得た理由だとは思います。
複雑系は難しいから、複雑系をそのままとらえることは放棄して、意義があり使いやすい単純系に変換するという発想をもったところに、今の西洋の繁栄が生まれたわけです。

けれどそれって、実行する、というときにはまわりくどいんですよね。
Goalをじっと見つめてひとつの方法ではなくいくつもの方法を一斉にやる、という、分析することや後輩に伝えることは難しいけれど、実行するには効率的で強力な方法、もある。そして、一子相伝だったからこそその世界を伝えることができた古武道の世界に、いろいろヒントが残っている。そんなことを、甲野先生の著書などを読んでいると感じます。

・自分の力ではなく、重力をつかう
・大きな魚が動くと遠心力など余計な力が発生する。しかし、支点を分散させると小魚の群れがパッと方向転換できるように、パッと動ける

…こんな哲学を、組織論に書き換えたいなあ、とずっと思っているんです。なかなかうまくはいかないのですが。

武術って、面白いです。
言葉にならない(するのが面倒な)論理がある。西洋のマーシャルアーツとかとは違っている。普段言葉をこねくりまわしているので、言葉にできない論理って、気持ちがいいんですよね。


やっぱり、甲野先生の講演会、学生をやっているうちに、いちどは聞きにいかないとなあ…

2005年07月25日

なんで今更こんなん話題になるの?

読んでいてふと気になった記事。

 NIKKEI NET
 ■関西医大病院、待ち時間短縮などサービス向上策相次ぐ
 http://health.nikkei.co.jp/news/top/topCh.cfm?id=20050724e001y90522

違和感を、感じました。

・待ち時間短縮
・待ち時間分析
・接遇マナー講座
・サービス向上
・電光掲示板設置

…当たり前のことを、やっと開始しただけなのでは?

 ■平成14年受療行動調査の概要
 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jyuryo/02/kekka3.html

参考にあげてみました。これ、今までの医療機関のサービス意識への低さを代表している数字だと感じます。つまり、今まで、予約しても予約しなくても、患者は長時間待たされていたような状況があった(体調悪いから病院に来ているはずなのに…)。待っている患者の心境を考える余力がなかったから(文化がなかった?)、このような結果が出てきたのでしょう。
一生懸命ぎりぎりまでごちゃごちゃやって遅刻するのは僕自身ももつ悪い癖ですが(滝汗)、「社会人となったら通用しない」…と言われるようなことが、医療界全体で行なわれていたということなのか?
遅めに約束して、早めに診療が始まってしまった、というだけで、患者満足度は跳ね上がるのになあ。
当たり前のことを当たり前にしたら、努力と言われるのって、へんな気がします。
それだけ努力が報われやすい世界に、今の医療界はなっている、という意味でもあるのでしょうけれど。

2005年06月27日

医学生のこころの動き

このあいだかいた骨髄バンクの企画の感想で、もっともこころに残ったことを書いてみます。


◆患者さんの声が、胸に響いた◆

最近、白衣を着て病院内で実習をし続けています。
たくさんのいのちに関わる物語がここにはあるはずなのに、いつも患者さんといろいろ話をさせていただいているのに、どこか無感動に、実習を続けている気がしてしました。

しかし、土曜日の企画では違いました。
白血病から骨髄移植を受けた患者さんの闘病の話が、非常にリアルにこころに届いてきました。

僕は医学部に入るまでは、血を見ると気が遠のく種類の人間でした。
けれど、医学部に入って、血には鈍感になったなあ、と感じていました。
土曜日までは、血は「感染のもと」「汚い」というイメージの対象でした。
なのですが、土曜日は昔のコントロールしがたい血や痛みに対する感覚が、話を聞いていて久々に湧き上がってきました。

「白衣」「資格」に守られた、日々の実習を感じました。


けれど、感覚が過敏になるのもまた問題で…
今日の午後は症例検討があったのですが、いつもなら平気なはずの腹腔内出血の話とか、人工心肺の話とか、が、気持ち悪くて気持ち悪くて、油汗が出てきました。感情・感覚のコントロールって、難しいです…

医者のプロになるというのは、「白衣」というバリアの脱着が素早くできるようになるのか、それとも耐久力があがることなのか、どういったことなのか。
悩んでいるところです。

2005年06月22日

医療者って、搾取されている気がする

医者たたきが、世の流行だ。まあ、襟を正さなきゃいけないところは確かにあるのだろう。けれど、度が過ぎてやしないか?とときどき腹が立つ。
医者の寿命は平均よりも短い。無理を重ねなきゃいけないからだ。過酷な労働条件で働くことで、ひとの命を守ろうと努力している。

先日、20代の女性と話す機会があった。医者って寿命が短いんだよね〜、と話したら、間髪入れずに「私は絶対医者とは結婚しない」だって。別れたくない、のだそうだ。まあ、女性が言い出す熟年離婚が増えている中、ある意味いいことばではあるのだけれど、でも、医学生の前でいうか、それ、と強く思った。俺たちがリゾート行く暇なく他人の命のために体と人生を削って努力を重ねても、彼らにとって、当たり前、なんだろうね。
確かに、それがプロ、なのかもしれない。
けれど、あまりにあんまりでないのかな? 医療者が市民に人生を搾取されて当たり前、というのは、ちょっとひどいんじゃないかなあ。

もうちょっとひとの命を救う、という仕事がやりやすい世の中にしたいな、と、思う。

2005年06月02日

医学生の知識は役に立つ?!

医学生の知識と感性も役に立つんだなあ、と思った記事です。

救命救急の手技なんて、医者になれば身につけなきゃいけないし、素人が下手に手を出せるようになるよりはきっちり周りに助けを求められる方が大切だろ、と思って救命救急の手技の練習は(他のことで忙しいし)サボっていた。でも、こんな事例もありうるんだなあ、と思った。もうちょっと練習してみようかな。


万博会場で入場者が心肺停止状態に…除細動器で助かる
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050601ic03.htm
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20050601/eve_____sya_____010.shtml

2005年05月13日

病院コンサル?

NIKKEI NET
チェーンマネジメント、病院経営支援事業を拡大――手術・検査ごとに収支分析
http://health.nikkei.co.jp/news/top/topCh.cfm?id=20050511e001y45511

を眺めていて思ったこと。

組織の力って、お金、という数値でではなく、活力、で見るべきだと思うんです
よね。そして活力って、いろいろなものを見て目を養った人であり特定のセンス
を鍛えた人が、現場を見て感じるもの、だと思うのです。お金の流れだけでは、
見えないものも、ある。

コスト削減は確かに大事ですし、病院という場所はコストを削減する場所がたく
さんあるのも事実。ひとつのツールとして、こういった事業の価値は大きいと思
います。
けれど、みえやすい指標であるからといってお金という指標だけを整理するのっ
て、なんだかなあ、と…。

ひと(お客&従業員)のこころをどう動かすか、を考えない経営はありえないと
私は思います。それを忘れて、お金という指標だけに走るのは、違和感を感じま
す。

この会社の実態はまったくしりませんから、会社の内容は新聞どおりなのかは、
わかりませんが。

2005年04月22日

チーム医療

チームの本質は、目標を共有し、状況を共有しながら互いに補い合うことである
と私は考える。それは、言葉にすると簡単であるが、実行することは容易ではな
い。

私はI-cubeという全国規模の、医学・看護だけでなくリハや放射線などのすべて
の医療系の学生、栄養や教育や法律などの医療に興味のある学生、さらに医療現
場で働くまたは医療についての夢を持つ社会人の集まる、600人規模(2005年4月
現在)のサークルを立ち上げた。それを通じて、いろいろなことを学んだ。

様々なバックグラウンドを持つ人間が集まったとき、その違いはやはり壁になる。
大学が違えばスケジュールが違う。専門が違えば持つ知識が違う。能力の質も、
やはり違う。同じ背景を持ち同じ言語を持つ集団が、やはりもっとも統率しやす
い。個々人を分析し、組織に組み込み、指示を出すことは、手間のかかることだ
からである。

しかし逆に、もっとも力が持つのは、様々な人間がいるチームであるということ
をそこで知った。人間が一人でできることには限界がある。同質の人間が集まっ
ても、やはりできることには限界がある。異質な人間が集まると、想定外の出来
事が起きてしまう。しばしばそれはミスに繋がってしまう。しかし、うまくメン
バーが繋がっていれば、想定外のすばらしい結果に繋がることがある。

予想を越える良い結果を得ることができるチームの条件は、目標を共有できてい
ることと、適切に情報を共有できていること、の二点であると私は考える。目標
が共有できていなければ、それぞれのメンバーの視点と行動が分散し、力を集め
ることができなくなる。情報が共有できていなければ、それぞれのメンバーが適
切な行動を起こすことができなくなる。

現在の日本医療のチーム医療の原状について考えたとき、その二点は、なかなか
実行できてはいないと私は感じる。医療の目標である患者を意識するために、患
者中心の医療、と言われるようになって久しいが、日々の忙しい医療現場の中、
医療者はしばしばそれを忘れてしまっているのではないだろうか。電子カルテ
やカンファレンスは、情報共有のためにあることを、しばしば医療従事者は忘れ
てしまっているのではないだろうか。チーム医療の実現のためには、夢や理念に
支えられた心からひとを動かす目標と、職種や個々人の違いを感じて受け入れる
情報共有の土壌とが重要であると、私は考える。

2005年04月12日

癌の転移が防止できる??

「がん転移防止、大地震予知…科学者2700人が未来予測」
http://www.asahi.com/life/update/0409/004.html

ほんとか〜〜〜と思ってしまう。

むかし高校時代に図書館で、10年後の未来、という当時からみて20年前に書かれ
た本を発見し、なかなか面白かった記憶がある。内容は、覚えていないけれどね。
ひとつ覚えているのは、当時は、家のすべての機器がひとつのコンピューターで
制御される、だから家に電話をすることですべてを遠隔操作できるという未来予
測があった。これだけコンピューターが小さく安くなるという予測がたたなかっ
たり、各メーカーの言語を統一するという作業が難しいことが想像しきれていな
かったり、というのがあるんだろうけれど。

話は戻って、癌の話。
なんか、この表現だと胡散臭い。
だいたい、どんな専門を持っているか分からない2700人を集めている時点で、よ
くわかんない。専門家は、専門を出ればただのひと、だ。

思うんだけれど、大衆って、各論が好きな気がします。頭を使って自分で答えを
導いたり、各論の根拠を考えたりするための総論的なところが、めんどくさいか
ら好きではない。
でも、未来を予測して動いている人間として思うのですが、各論って、予想でき
ない…。個々の流れは、想像できない。予想できるのは、全体の流れ。そして、
予想する全体の流れからルールを想定し、それに基づいて個々の流れを計算し導
き出す。
未来を予想する、というのはそういった世界だと思います。

だいたい、ノストラダムスがはやったのも、どうとも解釈できる文章だったから
だ、…とまでいうといいすぎか。

結論。

各論が求められる社会は、本質的でなくて、なんか、疲れるなあ。

2005年04月06日

個人情報保護法?

個人情報保護法について、少し思うこと。

最近、いろいろなところで個人情報保護法のセミナーが開かれています。それら
を見ていて感じるのが、「日本て、後進国だなあ」ということ。

個人情報を保護するというのは当たり前のことだし、罰則というのも、当たり前
のこと。なんでいまさらこんな騒ぎになるのか、違和感を感じます。世界的には、
20年前から取り決めがあり、システムが作られてきている。
日本って、文字通り、後進国だ…

おまけ。
病院に個人情報保護法をそのまま当てはめるのって、どうなのかな、と思います。
病院で保持している個人情報は、病院の商売のためではなくて、患者さん個人の
ためだと思う。それを保護するための具体的な対策を膨大なコストをかけてとる
のは、各々の病院の仕事なのか? 病院って、ぼろもうけしているわけじゃない
し、医療は進歩し続けるために情報を共有しなければいけない学問と密接に絡み
合っているということもあるんだから、もうちょっとお上が動いてくれても、と
思います。
医療などにかけるお金はなどない、と一蹴されてしまうのだろうけれど。

2005年02月17日

ワクチンが気になる…

ちょっと気になった記事。
NIKKEI NET
「インフルエンザ、予防接種でも死亡率低下せず 」
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050215AT1G1500615022005.html

なんとなく聞いていたけれど、やっぱそうなんだあ、って感じ。
でも、ワクチン接種しても死亡率は低下しない、といっても高リスク群には効果
があるのであれば、やっぱり寝込む期間の短縮とか、病状の重さの軽減とかには
効果はありそうだけれど、どうなんだろう? あと、社会的にインフルエンザの
感染率が高まって、高リスクの人にウイルスが届きやすくなるとか起きないのか
な?
マクロ的な結果が出ない限り、このような結果で安易にワクチン接種率が下がる
と、何か起こるんじゃないかなあ、と思う。まあ、ワクチンのコストは高いし、
副作用も存在するし、それらとのバランスも気になるところではあるのだけれど
ね。
 
そう、ワクチンって、社会のために個人にやってもらうもの。
そのあたりを、国民も行政も勘違いしている気が、日本を見ていると、する。
 

2004年12月11日

混合診療について

思うことを、もう少し書いてみました。

日本では自由な最先端の治療が行えない、だから混合診療を行って自由に治療を
受けれるようにするべきだ、というが、であれば差額ベッド代を一日1万円とか5
万円とか請求するなり、病院の隣に自由診療のクリニックを作るなりすればいい。
きちんとした病院の実績とプライドと信頼、きちんとしたインフォームドコンセ
ントへの気持ちと能力、家計簿をつける程度の金銭感覚、の三つがあれば、それ
は可能なはず。
現状の枠内でのきちんとした努力抜きにして、「なんでもOK。すべては患者の自
己責任で」への道をつくるのは、命という、本人にとって全財産と引き換えにし
てもいいような「商品」を扱う医療という産業では、問題がある。
自分の命を前にして、「見極め」を行いきることができるひとは、医療者も含め
てそうはいないと思う。患者をバカにしている、というわけではない。
正確な知識を持っているであろう医療者であっても、わらにもすがる、という行
動はするでしょう。

規制緩和には私は基本的には行うべきだと考える。
しかし、第一に行うべき場所は現場のカネの流れ、ではないと思う。
外国の数倍も数十倍もする医療器具の値段や、世界の最先端がなかなか導入でき
ないシステムそれ自体、のはず。根が深い根本原因をまったく無視して、現場の
カネ、現場の負担、消費者の負担、で解決させようとするやり方は、政治のあり
方として間違いではないのか。

混合診療を行えるようにしたら、確かに自由診療という枠で医療界に流れ込むお
金も少しは増えると思うが、それ以上に、保険というシステムを介して入っ
てきたお金が他の産業界に流れていく量の方が多くなる気がする(根拠はない
意見ですが:汗)。そうすると、医療はますますやせ細っていくと思う。

現状の枠の中でもできることがあるはず。
それを終える前に、混合診療は行うべきではない、と私は思います。

2004年12月03日

医者の心 看護の心

今、病棟実習で神経内科を回っている。
俺の受け持ちの患者さんは、不随意運動の激しい84歳の男性。
朝ご飯を食べるのに苦労している彼を見ながら、不随意運動は具体的にどんな動きなのか、カルテに書くためにはどんな表現をするべきなのか、僕はじっと見せていただいていた。 そんなときに、看護師さんがきて、患者さんの動き回る腕を押さえてあげた。

「ぱっと出る手。それが看護だよ」

看護連盟の理事に言われたその言葉があたまに浮かび、いろいろなものがつながった。
見ている部分がやっぱり違う例がいくつかうかぶ。

もちろん、今回の例は極端だけれどさ。

医者と看護のこころの違いを改めて考えました

2004年12月02日

参議院議員と勉強会

この日、小泉と国会でやりあっていた桜井充参議院議員と勉強会をしてきた。といっても、今回は第一回だったので、どんなふうにこれからやっていこうか、が大きな目的だった。

が、一番の目的についてはあまり話さず、閣法のつくりかたとか郵便の歴史とか、をいろいろ話した。面白かった。
仲間が一人、来年休学して私設秘書をするきになっていた。うらやましいな、と思った。

俺は、経営がしたい。
現場から社会を変える方法が、いろいろ見えるから、実行したい。
…ならば、本当は医療とはまったく関係のない企業で働く必要があるのだろうな。
でも、そこまで俺という商品に価値があるのか。

…ない気がする。2年程度で実績を出せる実力は、ない。
医師以外の修行をする暇もないだろうし。

だからこそ、ふつうの社会人や、政治家になる友人が必要なんだろうな。
うまく他の業界の人間とコラボレートできる人間になりたい

2004年11月28日

鍼灸初体験♪

ぼくらI-cubeの企画、Your Experienceで、鍼灸・操体師の金子芳幸先生にきていただきました。そこで鍼灸初体験をしたのですが、とてもとても面白かったです!

つくづく、西洋医学って乱暴だと思うんですよね…
外科的には、切り取ったり、くっつけたり、変形させたりする。
内科的にも、薬とかで体内の動きをぶん殴って方向を捻じ曲げる。

対して東洋医学って、ぶん殴るのでなくて、背中を押し、くすぐりほぐし、流れを作る。
おもしろそうだなあ。そう思いながらも、なかなか手を出せていませんでした。

僕とか、全身不健康体なんです。けど、西洋医学的にはどうしようもない。
過去の両足捻挫のせいで足首動かないし歩き方はおかしいし、
肩こりで血行動態が悪いのか、交感神経が刺激されすぎなのか、手はいつもしびれて汗をかいている。
内臓も調子が悪くて、いつも舌が荒れています。

な状態で、鍼灸初体験をとても楽しみにしていたのですが、

…予想以上でした。

9年前にぶっ壊してからまともに伸ばせなくなっていた両足首が、久々に伸びました。
腕に針を打ったら、そこの筋肉が動かしている手の部分が、冷や汗をかかなくな
りました。久々にさらさらしている自分の指を触った気がしました。
夜の寝つきも良かったし♪(試験勉強のために4時おきでしたが:汗)

やっぱり鍼灸は効くんだなあ、と自分の体で実感できた、いい日でした☆

ちょっと高いけれど、むちゃしすぎる自分の体のメンテナンスのために、
月に2回ほどは針をうとうと思いました。
自分の体にうってもらえれば、その技も覚えられるだろうし♪

2004年11月02日

医療政策をみていて思うこと

社会を変えるには、

・枠組みをかえる・動かす(政治・行政)

・流れをつくる(マスコミ・作家)

・未来をつくる(教育・研究)

・現場でうごく

のみっつあるというのが、俺の持論。

そんな中で政治を見ていると、なにやってんだろ、と思う。

枠組みをかえるために、政治に関わる人たちは、予算と法律で縛ることを考える。

ちゃうだろ?! と思う。

枠組みをかえることに、もっと真正面から取り組みやがれ、とおもうのさ。

医療がなんで不自然なのか。

評価形態の問題が、コアだと俺は思う。

いい方向にひとが導かれる、枠組みがないんだ。

人は、霞をくっていきることはできない。

人のためになるといっても、それが気持ちよくても、それで生きることはできない。

「あかひげ」に期待しちゃ、いけないんだ。

医療者に自分の体を犠牲にして医療支えさせるなんて案、永続性のない、ミクロな視点の賜物だ。

枠組みをかえれる政治ができることは、きちんとがんばっているひとを評価し、かれらがしっかりと働ける状況をつくることだ。それができて初めて、医療は効率化される。市場原理に評価方法をあずけようだなんて、政治屋さんの手抜きでしかない。

2004年10月23日

新聞のった!!!!

われらのI cubeが、毎日新聞2004.10.23(土)の夕刊にのりました!!!

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kenko/news/20041023k0000e040043000c.html

2004年10月20日

救急とホームレス

今週は救急実習。救急の現場には、いろんな現象が起きている。

今日は、救急車実習だった。東大や後楽園の周りが、ぼくがお邪魔した消防署の管轄だった。ラクーアのそばを通ったりするから、遊びてぇ、と考えている自分がいた(誰かそのうちいっしょに行って〜)。救急隊員と話しをしたのは初めてだったのだけど、軍隊的、でも親切であったかい、そんな雰囲気、なんとなく好きになった。

しかし、救急車は酔いますね…。プライバシーの保護とかあるからだろうけれど、カーテンを閉めていて外はあんまり見えない。で、横揺れが激しい…。車を追い越すことゆるされるといっても、混んでいる都会、なかなか追い越せず、追い越せても無理に間をぬわざるを得なくて、気持ち悪い。
そんな救急車が、本郷では平均すると24時間でだいたい10回の出動があるらしい。

けれど、今日はそんなに出動は体験できなかった、
というのは、結核疑いのホームレスの方を運んだからだった。

「胸が痛い」「俺は結核なんだ」と文京区の福祉窓口に行って騒いでいたので救急車が呼ばれたのだ。本当に結核だったら、と、救急隊員が気を利かせてくれて(結核は空気感染するのだ)、ぼくは消防署に戻された。そのあと、ずーっと、待たされた…

結核を受け入れてくれる病院は、ほとんどない。清瀬のほうとかに送られることになってしまう。こういう患者は、救急車泣かせになる。また、結核患者を運ぶと、車内を消毒しなければならない。そしてその消毒で1〜2時間、救急車が使えなくなるそうなのだ…

今回の件は、おそらく、詐病だろう。病院に連れて行って結核だと調べる検査をしてもできなかったらしい。台風が近づいていて、帰る家のない男性が、何とか入院してしのぎたいと騒いだようだ。

二点、改めて気になった。

救急隊員は、危険の中にいるんだなと。
そして、医療従事者は危険の中にいるんだなと。
知識や予防というさまざまな準備はしているけれど、病気という危険の中に飛び込まなきゃいけない職業だ。
こわい。そう思った。

もうひとつ。
ホームレスの問題は、難しい。ただいえるのは、救急車という社会資源が、このような形で浪費されるのはとてもばかばかしいということ。彼らを捨てろというのではない。何か、彼らを拾う変わる何かがあればいいと思う…
台風が近づいているため非常事態宣言がだされ、消防署内はとてもあわただしい。町にもさまざまな危険がある。そんな中、貴重な救急車が活動を停止するのは、町にとってとても危険。
これは、きちんとした受け皿や流れが作れてないから起きる。
どうせ、どうにかしなければいけない問題なのだ。法治国家である日本は、彼らを見捨てることはできない。ならば、救急という貴重な資源に彼らが向かう前に、きちんと彼らを救う何かを用意できないのだろうか。
お金を削るだけでは、結局どこかに負荷がかかる。適切にお金を使ってしまえば、余計な負荷を取り除けるはず。


同じような事例が、隣の消防署でもあった。
おそらく、ほかにもたくさん起きているのだろう。
都会の貴重な救急能力が、ムダに消費されている…

2004年10月19日

マスコミって…

今日も25時帰りなちゅうです…
あしたは救急車に乗って、東大周辺を動く予定です。

先日、慈恵医大の例の医療事故の問題が、放映されたそうですね。
僕はその番組は見る余力がなく見ていなかったのですが、知り合いに慈恵の財務部長がいたので少し話を聞きました。

慈恵、あれからすごい努力をしているそうですね。
で、取材班も、あのあとの慈恵のさまざまな会議に、みっちり一年間はいって、取材していたそうです。しかし、結局ふたを開けてみたら、当時の手術室の密室性にのみ、ライトを当てていた…

これでは、慈恵にくる患者はますますへるだろうとぼやいていました。
いったい、かれらは一年間なにを見ていたんだ、とぼやいていました。

こういったことが積み重なって、国民の医療不信は形成されているのだろうな、と感じました。

せめて、取材されたものの権利として、放映する前の映像は見せてほしいものです… 「報道の自由」とマスコミは言うけれど、スポンサーの顔色を伺って番組を作るのに、取材された人たちは人権を無視した単なる材料、と利用して終えるのは、単なる善意の踏みにじりであり、弱いものいじめでしかないのではないかな、と思いました。

2004年10月14日

精神障害と社会構造

精神障害を持つ友人が、犯罪を犯してしまった。
実刑を免れることは、できないだろう。
今日、久々に会ってきた。
ごめんね、と繰り返すやつを見て、いろいろ感じた。

  ◇◆◇◆◇

俺は、そいつを支えることはできなかった。気付くこともできていなかった。
問題がありそうだとなんとなく感じてはいたけれど、距離も遠く、俺も忙しく、日々の生活に紛れてしまっていた。

精神病患者は、閉じ込めておけと多くのひとはいう。
何をするか分からなくて、怖いからだ。
既存の、暗黙の了解とされるようなルールを理解できず、または理解できなくなって壊す存在ということもある。

そうかもしれない。
たしかに、そうなんだろう。
しかし、そうならないための努力を、社会はできているのか。


個人が病人を支えきることはできない。
だからこそ、病院があり、保険がある。
介護は、嫁という個人の努力で行えという社会の圧力はやっと減ってきた。
小児は、母親の努力で行えという圧力が、まだつよい。
そして精神病や精神障害については、社会のガンとして見られているのが現状であろう。

精神障害は、さまざまな社会的外圧で起きていることが多いはずだ。
なのに、それの解決は、個人の努力で行わなければならない。
できるか、ってんだ!!

人間社会はほんとうに進化しているのだろうか。
人間という種は、言葉を手に入れた。経験を短時間で個体の間で、グループで共有化するすべを手に入れた。それが、ここまで人間がのし上がれた理由だ。
しかし現在、世代をつなぐ鎖が壊れ、経験が上から下に伝わらなくなってきた。
悪影響が、さまざまなところにでてきている。
こころの問題も、そのひとつだろう。

精神障害が発生するまでには幾重もの過程が必要なはず。それらを防いだり、軽くしたりすることは、できるはず…
障害がおきてからも、多方面からの解決が必要。個人がそれらの知識とすべを手に入れて解決するのは、非常に難しい。
人間という種として能力を、最大限に利用することはできないのか。
個人の努力でではなく、集団の経験の蓄積で、対処できる構造はできないのか。
社会のシステムで、問題の解決や軽減はできないのか。
百獣の「神」というプライドがあるのなら。

精神病患者や精神障害者を隔離すれば問題が解決するわけでもないだろう。
障害を受けやすくサポートしにくい世の中になっていると思われるからだ。
また、そのような人たちを隔離し、生産の場から切り離すことが、社会にとっての本当のプラスなのか。社会のお荷物としてただ飯を食わせる余裕が、今あるのか。
彼らにも、生産の輪の中に入ってきてもらわなければいけないはずだ。


また、精神障害は病院にまわされる、対処できないことも付記しておく。
医学的にはなおらないし、今の構造の病院という現場では、対処しきることは難しい。
実際友人は、自傷行為を病院でしてしまい、出入り禁止になっていたらしい…
頭にくるが、しょうがないとも同時に思う。


弱者は、とことん弱者にされていく。
刑務所で、レイプもされたらしい。
睡眠薬で朦朧としているところを、看守に襲われたそうだ。
幼児退行もしばらくしていたので、本当なのだろう。密室なので、証拠も何もないし、犯罪者であり精神障害者であるから説得力もないが。

あいつとは、もうすぐしばらく会えなくなる。
7年か、9年か…
壊れていく友人に、俺は何もできない。

2004年10月13日

女性の職場

今日の病棟実習では手術室に入った。
患者さんと看護師さんたちが女性なのはまあふつうだが、
今日の医者(執刀医・第一助手・第二助手)もすべて女
性だった。麻酔科医は男性だったが、これからの病院は
ほんとに女性だらけになるのだなあ、と感じた。

私立の医学部は、女性は男よりもずうっと成績が良くな
いと、合格させないらしいです。そうしないと、女性が
9割になってしまうから…
実際、地方の国立医学部は、女性がほとんどになってき
ているらしい。病院は女性の職場になる日は、近いのか
もしれない。

2004年09月07日

医療はどう変わるべきか 〜医療政策への期待〜

東大の、10月から開催される医療政策についての公開講座に申し込んだ。通るといいなあ。それに向けて書いた文章を、ここにも出してみようと思う。

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 医療政策で取り扱われるべき様々な問題がある。超高齢化社会、医療費の上昇、医療従事者の労働条件、等がある。しかしその中で、もっとも重要な課題は、情報の流通性の向上であると、私は考える。
 医療情報を患者という側面からまず考える。カルテ開示が一般的になった。コミュニケーション能力が高く、スムーズに医療行為を行える医療者が求められている。書店では健康に関する雑誌・書籍が積まれ、病院・医師のランキング本が売れている。インフォームドコンセントやインフォームドチョイスといった概念が広まってきた。多くの患者は、病気や施設に関する知識を強く求め、必要としているのである。また、患者の情報を、家族が持つのか、患者が持つのか、といった日本では解決されていない問題も忘れてはならない。
 また、医療従事者についても、医療についての情報は重要性を増している。例えばインターネットが普及し、EBMの概念が普及し、以前よりもより最新の知見にアクセスできるようになり、またそれらを利用しなければいけなくなった。感染症主流の時代から、慢性疾患が主な病気になり、患者の生活を知るという過程がより大切になった。医療過誤訴訟では、医療情報の隠蔽の害が明らかになってきている。病院も潰れるという時代になり、患者の病気や背景だけでなく、マーケティング、市場・患者自体を知るということも重要になっている。そして、医療従事者たちの間でも、高い専門性や縦割り構造の弊害で、職種間の情報交換が行いにくいという問題も、明らかになっている。
 社会に目を向けてみると、マスコミには医療叩きの記事を含めた医療に関する記事があふれている。しかし、医療者の労働状態などを、多くの市民は知らずにいる。エイズ、ハンセン病、障害者、精神疾患などの事例を通して、市民による患者の差別の実態が問題になった。また、そのような病気を持つ患者たちへの差別は、市民だけでなく、病気についてのプロである医療者たちも行っていることが明らかになってきた。そして、そのような事態が起こるからではあるが、患者たちは社会から隔離され、差別の存続が許されてしまう状態が、維持されている。
医療はどう変わるべきか。
以上に考察したことから私は、患者、医療従事者、社会(市民)の3者の間で、医療に関する情報が適切にやり取りされるシステムが整理されるべきであると考える。また、それら3者それぞれの内部にも複数の立場・組織があり、それらの間での情報の流通も整理されるべきである。さらに、整理された情報が流通するための基本として、その3者がそれぞれの立場、レベルで、病気についての適切な情報を得られるシステムが確立されるべきである。それは大きな力と予算が必要であり、またそれが実現されてこそ、様々な医療問題が解決されるはずである。そこには、医療政策の力が、必須である。

2004年07月28日

10年後の医療の「実行」にむけて

10年後の医療でポイントになるものは、8つあると、僕は思う。

老年、小児、精神、在宅。
そして、経営、システム、空間、手術、だ。

僕らのIcubeは、これらを意識して動かしていきたい。現場に触れながら、仲間たち皆でそれらを考え、センスを身に着ける、機構をつくりたい。いくつかの輝いている現場は、見つけた。

あとは、そこにどう僕らが入らせてもらうか、だ。