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2006年05月05日

褒めて育てる、は、だめ

「褒めて育てる」というやり方がある。
俺の苦手とするところでもある。

が、最近、分かった。
「褒めて育てる」のは、やっぱりだめだ。
使い物にならない人間に、なる。

褒めなきゃ育たない人間は、褒めるというエネルギーを注入し続けないといけない。賛美の言葉を上げ続けないといけない。
そうすると、どうなるか?
指導しているほうはエネルギーをあげ続けなきゃいけないし、そしてその人間のほうは、褒めてもらえる場所に行きたがるようになる。「偉い地位」に着きたがるようになる。また、更なる成長のための努力、を、自分だけで実行できなくなる。

それは、チームを腐らせるし、成長の天井も設定してしまうことになる。

だから、だめ。
「褒めて育てる」は、自分が苦手なこともあるけれど、基本的にはこれからもしないつもりでいこうと思う。

2006年05月01日

オンリーワンに、価値はない

今日、ひとと話していて、自分の口から出てきたことばでつくづくそうだ、と思ったことがある。

 「オンリーワンに、価値はない」

いろいろな人が、オンリーワンになりたがる。ただひとりの、社会に求められる人材になりたがる。
そのために、人を蹴落とし相対的に自分が上位にいけるようにがんばるひとびとがいる。
また、ほかのひとにまねできないことを実行し続けるひとたちもいる。自分もけっこう、その後者のきらいがある。

けれど、そんな、オンリーワンに、本質的に価値などない。
オンリーワンは、コピーがいないから、オンリーワン。
誰も真似できないから、オンリーワン。l
つまり、広がらないから、オンリーワン。

つまり、オンリーワンに、社会は変えられない。影響を与えられない。
社会に影響を与えられないものには、本質的に、価値はない。

オンリーワンなど、糞、なのだ。
まねできるような存在にこそ、価値がある。
まねされなければ、だめなんだ。


つくづく、そう思う。

2006年03月27日

覚悟

気がついた。

最近自分、停滞している。
「楽楽かるて」が特にそう。
それは、俺が先頭で突っ走っていないからだ。

この一年、自分が医師になり現場に立てなくなるからと、自分が先頭を突っ走らないシステムで組織を運営しようとしていた。そうしたら、気づいたら、足踏みばかりしている一年だったと振り返ってみて思う。

どんなに忙しかろうと、やる、と決めたこと。
人に頼ったりするのではなく、自分が先頭に立って走るべき。
覚悟、が足りなかった。

覚悟を決めて、きっちり、前に進んでいきたい。

2006年03月24日

【速さ】でなく【強さ】

『やつは速いんじゃねぇ。つえぇんだ』

昔好きだったレースマンガの主人公が、どうしても勝てないチャンピオンを評して言った言葉。
今でも心にしみることばだ。

そう、速さじゃなく、強さ。
腕力ではなく、強さ。
点数を取れるかどうかではなく、強さ、が最後には重要。

それが、生きる、ということだし、勝つ、ということ。


最近つくづく、そう思う。

2006年01月04日

組織の「神経」って大切…

最近自分が動けなくなっているから(いろいろ危険な状況があったから無理矢理動いていたから、勉強がマジやばいけど:涙)つくづく思う。

組織で「神経」って、大切。
つまり、情報伝達、は、要。

末端で何が起きているか、という感覚神経は大切。

やばいことがおきたら中枢に伝わる痛覚神経はさらにたいせつ。
(そもそも、痛覚神経が存在しないといけないし…)

で、中枢が考えたことがすぐさま実行ざれる運動神経も、シビアな環境の中で組織が生き抜くためには大切。

特に、痛覚と運動についての神経は実際の動物の体内でもそこそこに太いことからもわかるように、とてもとても大切。
筋肉鍛えて神経まるでだめな組織は多い。
個々人が強くなるだけじゃ、だめ。
(付け加えると、反射、という仕組みは面白い。脳に伝わる前に、脊髄のレベルで対処してしながら情報が頭に伝わっていく)

個々人にある「自分だけがよければいい」をいかにクリアするかが大切。
そのためには、組織への「愛」が要。

組織への愛、より、個への愛、のひとが権力持つのは、最悪…
「ボス」は、みんなにとって最悪…


強い神経が、ほしいなぁ…
うち、I-cubeはそういった神経がとても弱かったのだけれど、事務所をこの冬、やっと持つことができた。どんな神経を構築できるか、そこが、勝負。
筋肉のない脳として(もう、動けない…)どこまで神経系を構築できるか
そのためにどれだけ仲間に助けてもらえるか。
大脳が機能できないとき、ステゴサウルスのような二つ目の脳をどこにどう設定してどう機能してもらえるか。

…勝負だな…。