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臨床医として、致命的??

最近いつも感じていた。
おれは、医者としてあまりにバランスが悪い。安定性が、ない。
勉強すればするほど、バランスを崩していく。
それは臨床医を目指すのならば、致命的。


今日、ケアネットの収録に参加させていただいた。苦手な苦手な循環器領域。恥をたくさんかき、失望されてきた気がした。まあ、今後に生かせばいいのでそれはどうでもいいのだけれど。

肝心なことは、自分の問題のコア。緊張感のある場所で第六感を動かしながら自分のちみっちゃいたくさんの悩みへの反応をいただいて、自分の問題のコアが見えた気がした。
それは、今までの研修で知識を患者に適応することをしてきていない、ということだった。


これまでの研修を振り返ってみる。
一年目の半年。消化器中心の一般内科。
指導医は、病歴と身体診察と最低限の検査で治療をしていた。検査なんて入院するときすれば十分です、といわれた。かっこいい、と憧れた。体系的なレクチャーはない病院だったから、本や外部のレクチャーで、そのかっこよさ目指してなんとか勉強していた。

けれど7ヶ月目から外科に入り、カルチャーショックで打ちのめされた。
内科と考え方が違っていて、内科指導医のようなやり方を目指すと「おまえは病気を当てていくからだめなんだ」と怒られた。チームで動いているのに、外科の先生ごとにもいろいろ違いがあり、さらに思考方法がわからなくなった。

それに続いた整形外科、脳外科は扱う疾患がかなり変わったから混乱にひといきつけたけれど、でもやっぱり思考プロセスの整理はできなかった。

大学に帰ってきて、膠原病と内分泌。すでにある程度の鑑別なされて入院してきていること、治療と検査は専門的だし大学で処方・検査を研修医が考えることには高い高い壁があったこともあり、そしていろいろ事情があったこともあり(汗)、思考停止し指示を待つすべを生き抜くために身につけた。

振り返ってみると、
今の医療訴訟の嵐から、診断・治療などの責任から離してもらって守っていただいていたことと、
いろいろな科を異動することで不器用な自分は自分なりの臨床医の思考プロセスを組み立てきれずに今まで来ている、
の大きな二点の問題があったのだろうなと感じる。


EBMは、
・患者の問題整理、
・その問題についての情報収集、
・集めた情報の批判的吟味、
・患者への適応、
・再評価
の5つのステップからなる。

さらに整理すると、
・どう患者に向き合うか
・どう集めた情報を(批判的に)吟味するか
のふたつ。
この前者から距離がある環境のまま今まで勉強してきているせいで、そしてカルチャーショックに適応できずいろいろな情報に振り回されてしまっているせいで、批判的吟味、ばかりをしてしまうようになったのだろうな。そして、自己否定という、悪循環に陥っていたと思う。


でも、さらに考えると。
臨床現場に身を置きながら無責任に批判的検討ばかりをする贅沢な時間をとらせてもらったのだ、とも思う。日々決断、決断を迫られる医者という職業で、自己否定をする贅沢なんてまず取れないもの。

先月は名郷先生がいる病院で研修できたこともあり、EBM、批判的吟味のポイントを急速に整理できのもとてもよかった。
それがおわったちみっちゃいことを悩みぬいた直後の今日に、「結局細かいことなんかより患者さんとどう向き合うかがたいせつなんだ」「体感できないEBMもだいじだけれど、プロの体感もたいせるなので」というあたりまえのことを腹から再確認できたのは、とてもとてもよかった。

かみさまはきちんと俺に道を用意してくれていた。
そんな気がする。


さてさてそろそろ批判的検討には区切りを付けて、傍観者の一歩向こうにふみだすべ。
ちょうど明日から1ヶ月間の診療所研修。自分の外来を持たせてもらえる!!!
そのあとは産婦人科をはさんでERで4ヶ月。ひりひりするほど現場を味わえるはず!

そのあとの後期研修はどうするかな…
患者さんと責任もって向き合うことを、きっちりやるべきなのかな。
一般内科を市中でやりこむこと。それが俺の道なのかもな。
第三者的批判的思考をやり続けたからこそ、一般内科の海に惹かれる。そんな気分の今日。

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