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2006年05月17日

「なんで?」

思った。

患者さんの答えが出るわけがない、「なんで?」がある。末期がんの患者さんとか、受け入れがたいものを受け入れなければいけないときにあふれてくる「なんで?」だ。

…これって、本質的には女性がよく口にするような、看護師さんたちが医者の理不尽に文句言うときのような「なんで?」と同じなのだろうな。

前者を軽蔑するわけではない。
ただ、前者と後者が同じものだと感じたときに、いろいろふっと、見えてきた。

2006年05月05日

褒めて育てる、は、だめ

「褒めて育てる」というやり方がある。
俺の苦手とするところでもある。

が、最近、分かった。
「褒めて育てる」のは、やっぱりだめだ。
使い物にならない人間に、なる。

褒めなきゃ育たない人間は、褒めるというエネルギーを注入し続けないといけない。賛美の言葉を上げ続けないといけない。
そうすると、どうなるか?
指導しているほうはエネルギーをあげ続けなきゃいけないし、そしてその人間のほうは、褒めてもらえる場所に行きたがるようになる。「偉い地位」に着きたがるようになる。また、更なる成長のための努力、を、自分だけで実行できなくなる。

それは、チームを腐らせるし、成長の天井も設定してしまうことになる。

だから、だめ。
「褒めて育てる」は、自分が苦手なこともあるけれど、基本的にはこれからもしないつもりでいこうと思う。

2006年05月03日

似非科学?ナースキャップ廃止について

ナースキャップ、あまりあらうことがないものだから、汚い、という理由で廃止になったときく。
でも、なんかおかしい、と見ていて思うのです。

ナースキャップが汚いというけれど、でも、もっと汚いものをほとんどの医療者がみにつけていると思う。それは、腕時計。かく言う自分も、ないと困るからつけてしまっている。ほんとうは胸に下げる時計が一番いいのだけれど、なかなかいいものが売っていないので…。

そう、腕時計、ものすごく汚い…
このあいだ、綺麗にしてみようかな、と、家の近くの眼鏡屋さんの店頭にあったソニケーター(超音波洗浄器)につけてみた。洗ってみた。

…そしたら、ものすごい汚れが、水一面にひろがっていった(眼鏡屋さん、ごめんなさい!:滝汗)
腕時計の汚さを実感した日でした。
まあ、年がら年中身に着けているのだから、当然だろう。

で、そんな汚いものをふつうの医療者は、一番綺麗にしなきゃいけない手のすぐ傍についけて、患者さんに触っていることになる。ちょっと意識はしてもいいことだと思う。

でも、だからといって、全面的に廃止すべき、とは思わない。
重要な、求めるべきアウトカムは、「院内感染を防ぐ」ということ。
腕時計を全面廃止すれば院内感染を防げるかどうか、という事実が重要。
それなしに全面廃止というのは、evidenceに基づかない、非科学的な医療。
まあ、医療自体、科学的であることはコアではなく、治療する、というところがコアだから必ずしもevidenceに基づかなくてもいいだろうとは思う。

結論。書きたいこと。
それは、腕時計のように、ナースキャップよりずっと汚いものを許可しておいてナースキャップ廃止というのは、バランスの崩れた選択だ、と思うのです。意味が、ない。


だいたい、人間なんてもともと汚いんだから、けっこう汚くてもだいじょうぶそうだし。

2006年05月01日

オンリーワンに、価値はない

今日、ひとと話していて、自分の口から出てきたことばでつくづくそうだ、と思ったことがある。

 「オンリーワンに、価値はない」

いろいろな人が、オンリーワンになりたがる。ただひとりの、社会に求められる人材になりたがる。
そのために、人を蹴落とし相対的に自分が上位にいけるようにがんばるひとびとがいる。
また、ほかのひとにまねできないことを実行し続けるひとたちもいる。自分もけっこう、その後者のきらいがある。

けれど、そんな、オンリーワンに、本質的に価値などない。
オンリーワンは、コピーがいないから、オンリーワン。
誰も真似できないから、オンリーワン。l
つまり、広がらないから、オンリーワン。

つまり、オンリーワンに、社会は変えられない。影響を与えられない。
社会に影響を与えられないものには、本質的に、価値はない。

オンリーワンなど、糞、なのだ。
まねできるような存在にこそ、価値がある。
まねされなければ、だめなんだ。


つくづく、そう思う。